虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

人はクソでどうしようもなく、それでもマンガは大好きで

虚木零児です。

以前、キャプテン翼とワンピースを種にして表現の影響力についてお話をしたことがあったんですよ。大雑把な話としては漫画家の想像力と表現力は途轍もなく大きく、それはそれとして受け止める側には思考力があるので、影響力には限界がある。という内容です。漫画のキャラクターに憧れて将来を決める人がいることと、漫画のキャラクターに犯罪を唆されて実行してしまう人は異なる。私はそう言いたかった。

したらば、表現規制に積極的な人が言うわけですよ。

「判断力に劣る人に表現が届いたらどうするの?」

……じゃあ、トライガンの話するね。ネタバレとか気にする人は引き返そうね。

トライガンは劇場アニメも制作された押しも押されもせぬ人気作品なんですよ。何がすごいってTVシリーズからも原作完結からもだいぶ時間が経ってからの劇場化でしたからね。第一報を見た時、マジかよって思いましたもん。根強い人気があって、ファンも数多いんだと思うんですよね。結局、僕は見てませんが。

今でこそ誰もが知っているとは言わないまでも、オタクなら知ってる人も多い作品ではありますが、この作品の歩んできた道は決して順風満帆という訳ではありません。

1つ目の事件は掲載誌である月刊少年キャプテンの休刊。単純に連載ができなくなるので断絶のピンチであることは理解いただけると思います。

ja.wikipedia.org

幸いにしてそこそこ単行本の売上なども良かったこともあり、掲載誌をヤングキングアワーズへと変え、タイトルにもMAXIMUMが付きながらですが連載が続きました。その後、アニメ化もされたのはみなさんもご存知かと思います。

ここまでが1995年に連載開始されてから、1997年ないし1998年までのお話。

2つ目の事件はしばらく後、2000年の歌舞伎町ビデオ店爆破事件です。ピンと来ない人もいるかも知れませんが、まあそこそこ大きな事件でした。Wikipediaへのリンク貼っておきますね。

ja.wikipedia.org

これがなぜ、トライガンと関係してくるのか?

事件当時、マスメディアは自首してきた当時17歳の少年の過去を探り、暴き立てました。曰く、爆発物や銃火器に強い関心を示していた。曰く、火薬の取り扱いに執着していた。曰く、不気味なヤツだった……etc

幸いにして事件当時の追跡記事が残っていますので一読してください。

その中には、卒業文集に残した一言もありました。

君は人間じゃない。プラントだ。優良種だ。

……イッターーい!!

起こした事件に目を瞑れば、痛々しいオタクが卒業文集に漫画の一節*1を残した微笑ましいワンシーンなのですが、いかんせん事件が事件なだけに笑ってもいられません。自身を優良種とし、劣等種である人間に牙を剥く。その漫画こそが何を隠そうトライガンであり、そんなちょっと調べればすぐわかることはマスメディアの皆様もご存知なので、少年を犯罪に駆り立てた漫画として槍玉に上がりました。

「お前の好きな漫画のファンが爆破事件を起こしたんだって?」

ここで、当時の情勢をお話しておけば、漫画の影響力に対する盲信は今以上に強いものがありました。こんな暴力的な漫画が跋扈しているから少年たちは凶暴化していくんだという言説は支配的で、自粛は当然と考えられていました。当時の私は少年の凶行そのもの以上に、トライガンという作品と係累をもった証拠を残したまま犯罪を起こしたことに憤りを覚えていました。トライガンという作品の生命が脅かされる危機だと感じていたからです。何かしらの理由をつけて休載し、ほとぼりが冷めるまで復活しないものだと思っていました。最悪、復活できない危機感すらあった。

だが、実際はそうはなりません。私の記憶が確かならば、もちろん休載するんだよなという世間からの圧力に、編集部は作品の根幹が暴力を肯定しないことを示唆しながら突っぱねたんだとか。正直、当時は自由にネットにも接続できなかった上、口伝ての噂話のレベルだったので正確な所はわかりません。ただ、事件の後のヤングキングアワーズには何事もなかったかのようにトライガンは掲載されていたし、その後も不自然な長期休載はありませんでした。作者に影響がなかった。とまでは言えませんが、作品刊行については影響を感じさせませんでした。

実際の所、トライガンとは自らが傷だらけになりながらも悪党すら殺生しない道をゆくヴァッシュ・ザ・スタンピードを描く作品です。悪党たちが罪なき人々をバラバラにすることはあっても、ヴァッシュは強固な意志の力をもって殺人を避け続けます*2。派手なガンアクション。迫りくる個性的な敵たちとの生死をかけたひりつくような戦闘。びっくりどっきり銃器。そのどれもが魅力ではありますが、熱砂の大地で一瞬で乾いてしまう雫の如き人類のクソッタレな生き様に真紅のコートを纏った優しい人間台風がかすかな爪痕を残し、その小さな小さな痕が明日をも知れない極限状況下で諍いを止めずにいた人類を変える。ともすればその生産力に依存し、一方的に搾取する対象であるプラントとすら、共存できるかも知れないというかすかな希望もまた大きな魅力の一つといえるでしょう。

そんな作品を、登場人物のセリフを気に入っていた男が事件を起こしたというだけのことで、世の中から排除することが本当に正しいのか。

価値がある作品だから残せ、と言いたいんじゃありません。作品が生まれなければ、残らなければ値打ちもつかないんです。その中に輝きを見出すのは私達であって特定の誰かではない。たとえ誰もがくすんだ鈍色のなんの変哲もない塊だと言っても、ある人に取っては光り輝く黄金よりも眩しい宝物になるかも知れない。誰か権威ある人が仕分けてしまえるような話じゃないんです。

それは過去もまた同様に。……多くの人にとってなかったことにしたい、忌まわしき記憶だったとしても、僕のあり方を決めた大事な大事な思い出だから。

*1:厳密にはアニメでのセリフですが

*2:だからこそ、レガートという敵が輝くんですね