虚木零児です。
唐突なんですけど、タグ管理って凄いんですよ。リアルな物を動かしている人にはあまりピント来ないと思うんですけど、デジタルデータの管理において適切なタグ付けさえ出来ていれば管理が段違いにやりやすい。ファイル管理は伝統ある階層式ディレクトリでの管理が主流ではあるけども、ラベル付けして管理するアプリも存在しています。
FenrirFS - 整理いらずのファイル管理アプリ | フェンリル
このタグによる管理、オタク御用達のPixivで猛威を奮っております。
■オタクを救ったタグ管理
タグ管理自体はPixivの独自機能というわけでもなく、先刻のFenrirFSも紹介記事では「“Gmail”風にファイルを管理できるソフト。」と紹介されているとおり、かの有名なGmailも近い形式を使用しています。
GmailもFenrirFSも自分の管理をサポートしてくれるだけで、適切なタグ付けはユーザーの範疇であります。つまり、タグ付けの強みを理解できていない人はその機能をいつまで経っても活かしきれない。一方のPixivは閲覧ユーザーらも含めた多数の人間がタグの管理に関わっているので、自分にタグ付けのセンスがなくても、他人が付けたタグでタグ管理の恩恵を受けることができます。
タグによって何が起きるかといえば、まずひとつは閲覧するデータの絞りこみが用意になります。特定のキャラクターのファンアートが見たければ、そのキャラクター用のタグを使って検索すればよく、特定の作品のファンアートが見たければ、作品用のタグを使って検索すればいい。検索条件は複数組み合わせられるし、完全一致もできるし、含まない検索も可能です。なので、作品の傾向をタグにつけておけば、好まない傾向の作品を除外することが可能になります。例えば、ナルトくんのファンアートは探すけど、ヒナタとイチャイチャしてる奴は見たくないなら、後者を除外して検索すれば良い。
これは面倒くさいオタクにとっては非常に画期的で、見たくないものを見なくてすむ手段であると同時に「ろくな自衛もせずに見に来てごちゃごちゃ言うな」と"敵"を掣肘する武器になりました。その分、タグはある程度法則性を持って厳密に付けられていないといけない*1という制約ができてしまい、「タグ付けしてない作者の所為で見たくもない作品を見せられた」という言い分が出てきてしまったとも言えます。
これにより、オタク界隈は混沌としたものではなく、タグによって統制された整頓された美しい世界へと昇華されていったのです。
■ところが現実は見にくく、醜い
タグで管理すると見たくないものはシャットアウトできて万事うまく行く。というのはあくまでデジタルな世界の話だけで、現実の世界ではそううまくは行きません。
例えば、現実の本屋でNARUTOを探そうと思うと、少年ジャンプ棚に行って、作者「き」の棚に行って、NARUTOの文字を探す。というスタイルが多いと思います。ただこの方法はどこでも可能という保証はなくて、例えばNARUTO特設ブースを作っている書店にいくと、どんなに少年ジャンプの棚を探しても見つけられない。なぜなら、NARUTOの関連本は全部特設ブースにあるから。ということもありうるのです。
我々の過ごす現実世界ではモノという実体があり、それを見つけて手にする必要があるので、そのモノがどういう属性でどういうタグが付いているかはさほど重要ではなく、どういうルールで配置されているかが重視されます。NARUTOが内包するコミック、少年ジャンプ、岸本斉史、忍者、長編といった要素がありますが、書店で本を探すのにおいては、この書店がどの要素を抽出して配置しているのか、がわかれば十分です。
これもやはり実体を管理するという特性ゆえのもので、ジャンプの棚に置かれたNARUTO 1巻と、長編まとめ買い売り場に置かれたNARUTO 1巻。内容こそ同じですが個体としては異なるということはなんとなくご理解いただけるかと思います。どの要素を抽出してもアクセスできるようにするには、ロケーションを持つ要素の数*2だけ実体が必要になる、ということです。
■そもそもオタクが醜い
加えて、実体は空間を食います。なにかの歌でもありましたよね。
嫌でも人は場所を取る
本当にその通りだと思います。
もちろんデジタルデータも保存領域を使用していて、ストレージの一部分に保持されている訳ですから、実体があると言うことはできます。あくまで検索機能によってフィルタリングしたり、されたりしているだけで、たとえ誰からのアクセスも無かろうと、その作品はデジタルデータとして存在はしています。
このフィルタリングを現実世界に当てはめようとするとうまくいきません。R18作品をカーテンの向こう側に隠すことはできても、その内部を更に細かいパーティションで分けて、自分の嫌いなジャンルが目に入らないようにするのは現実的ではありません。もっと言えば、一部空間を占めている以上、まるで存在していないかのように扱うことはできません。嫌でも目に入ります。
面倒くさいオタクの面倒くさい由縁は、嫌いなモノは存在すること自体が許せない点に加え、その意思が当然の如く受け入れられると信じているの二点です。存在していないかのように扱うことができないのなら、存在しなければいいじゃんという結論に至るのはごく自然なことだと思います。現実にはまんだらけをマイナス検索で見ないようにはできませんが、ファンシーショップの隣からは立ち退かせればいい。献血ポスターも剥がさせればいいし、警察署とのコラボ動画も削除させればい。
ネット上では技術が発展してタグ管理が浸透し、マイナス検索なりで排除できるようになったからわがまま言わなくて済むようになったと言うだけで、気に入らないことがあれば癇癪起こして喚き散らし、辟易させて引き下がらせるという性質が変わった訳ではないのでしょう。
個人的には"性"というタグの付いた店、作品、存在を抹消していけば、いずれキレイな世界になるとは全く思っておらず、むしろ、現在の排除の流れには強い不快感を覚えています。かつて存在した"魔女"のレッテルが貼られて、人々の生命が奪われていった時代を繰り返さないためにも、タギングとそれに基づく権利の制限は安易に行われるべきではないと考えています。
ちなみに、先に出した歌は以下のように続きます。
奪われない様に 守り続けてる
……人として生きる上での宿命というものなのでしょうか。