虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

人の見方とレイヤーとアカデミーの話

虚木零児です。

皆さん、コンピュータ使ってますか?

……愚問でしたね。このブログを見てる人が広義の意味でコンピュータを使ってないなんてことは有りえません。デスクトップパソコンなのか、ラップトップパソコンなのか、それともスマホなのか、タブレットなのかという端末の問題はあれど、ネットワーク機能を持ったコンピュータを使ってアクセス頂いていることでしょう。ありがとうございます。ありがとうございます。

それを踏まえた上で、コンピュータのファイルって概念のお話を少ししたい。

一口にファイルと言っても、色々な種類が存在しますよね。例えば、この記事の下書きにあたるテキストファイルであったり、この前食べに行ったご飯の画像ファイルであったり、ゲームのプレイ動画であったり、ゲームの実行ファイルであったり。

ここまでのは大雑把な種別の話で、例えばテキストデータが主体のファイルと言っても、単純な文字データの羅列なのか、フォントや太字、斜体みたいな書式情報を含めた文書データなのか、あるいは専門ソフトで取り扱うことを前提としたフォーマットのあるものなのかで変わってきます。

さらに言えば、ファイルの形式が定まった所で中身によってまだ分別がされていきます。それは創作料理のレシピなのかも知れないし、ネットアカウントのIDとパスワードかも知れない。ネットワーク機器の設定手順の簡易なメモだったり、あるいは、ブログ記事のネタ帳だったり、日記だったり、アニメ作品の二次創作小説だったりするでしょう。

人によってはさらなる分別を行うこともあるでしょう。NARUTOの二次創作なのか、テニスの王子様の二次創作なのかで投稿するサイトを分けてるかも知れないし、アカウントを区別しているかも知れません。

色々と話をしましたが、これまで上げたものはいずれも根本の部分ではファイルとして取り扱われます。ディレクトリに保存され、移動ができ、コピーができる。適切なアプリケーションという抽象化した概念を持ち出せば、閲覧・編集も可能になります。ユーザにその権限があれば。

例えばファイル全般を扱うようなアプリケーション、例えばアーカイバであれば、ファイルの種別、形式、内容などは問題になりません。画像だろうが、音楽だろうが、崇高な論文だろうが、下品なポルノ動画だろうが全て等価と言えます*1

これが専門アプリケーションの話になると話が変わってくる訳です。フォトレタッチソフトはテキストファイルを読み込ませても処理出来ないし、逆もまた然り*2。また、同じようなフォトレタッチソフトAとBがある時、Aの専用形式で保存されたファイルは、雑な括りでは画像のデータなんだけれども、Bでは読めない。なんてことも往々にしてあり得ます。

つまり、一口にファイルと言っても、取り扱うレイヤーによって見え方は変わってくる訳です。ファイル管理においてはテキストだろうが、音声だろうが大差はありません。同時に画像編集ソフトはそれが何の作品のファンアートかは認識しないし、健全かポルノ的かを問題にはしません。そういった側面にスポットが当たるのは、作品というレイヤーで見られてから、モチーフだとか、技術の巧拙だとか含めて論評されることになります。究極、ストレージの上では0と1の羅列に過ぎませんしね。

この評価のレイヤーって考え方は別にコンピュータだと操作にダイレクトに関わってくるんで理解しやすいですけど、それに限った話ではないですよね。

例えばワンちゃんを恒温動物として扱うか、哺乳類として扱うか、ペットとして扱うか、それとも名前を与えられた唯一無二の存在として扱うかは、その時々の状況によって違ってくる。あなたの家のモモちゃんは哺乳類であり、恒温動物であり、ペットでありといろいろな側面を持っていながらも、たいていの場合はモモちゃんという家族の一員として扱われますよね。親戚の子供がモモちゃんみたいな犬が飼いたいと思った時にはポメラニアンって犬種が表に出てくるし、配達業者が訪ねてきた時に散歩に連れて行ってた時なんかはただの犬ですよね。

なんだってそんな当たり前のことを長々としたかというと、これはちょっと前に起きた、アカデミー賞の騒動って、みんなこういう見方の話に終止しているなあっていう印象を覚えたからなんですね。

例えばこの記事とか。

toyokeizai.net

大雑把にまとめると、日本では「容姿を揶揄された女性がいて、揶揄に怒った配偶者が平手打ちで応報した」問題として受け止められているのに対し、米国では「ジョークを受け入れられない狭量なセレブがコメディアンを虐げた」話だからほとんどの人から受け入れられないのだという分析です。

これが米国のスタンダードであるとは思いません。が、確かに日本での反応に比べると、アメリカでは殴った側に対する風当たりが相当強いのは感じられます。

www.bbc.com

黒人に対する固定観念を強化するもので、心の底から傷ついている

news.livedoor.com

正気をなくしたナルシシストの有害な男らしさ

めちゃくちゃ言うじゃん。

ただ、部外者の立場から見ても彼ら彼女らの言わんとすることはわかる。ステロタイプに苦悩して、懸命に否定してきた立場の人間からしてみれば、今回の出来事は看過できないでしょう。コメディアンからしてみれば、ジョークで観客の不興を買ったら暴力を振るわれるというのも溜まったもんじゃありませんよね。

じゃあ、なんで日本においてはこんなに人気なのかなっていう。

やっぱり、他者の名誉を傷つける行為は万死に値すると思っているし、首級を掲げることでしか回復できないと思っている蛮族だからでしょう。怒りっぽくて暴力的なことも大した欠点じゃないし、何なら美徳と思っているかも知れません。

……と言いたいところなんですが、実はそうでもないんですよね。ちょっと昔にBLMをスローガンに結構な騒ぎになって、略奪めいた行動が横行したじゃないですか。荒らされ果てたスーパーマーケットに立ち尽くす黒人女性店員みたいな写真を見て、この人達は一体何がしたいんだろうなって思ったのを覚えています。

あの当時、日本では「BLMなんてただの暴徒だ!」って大騒ぎしてた人がいらっしゃったんですよ。言わんとすることはわかる。暴力は何も解決しない。それどころか、社会が揺らぐと傷つくのは弱者、そこには君たちの同胞でもある黒人女性の店員だって含まれているじゃないか。と僕なんぞも思っておりました。バカなりにね。

ただね。そんな人達が今回の件では「アカデミー賞の化けの皮が剝がれたな!」とか言っておられるんですよ。妻の名誉を傷つけた愚か者には力によって見せしめねばならぬ。薄汚れた口で愛妻の名を呼ばれるなど言語道断、のうのうと生かしておくわけにはいかぬのだ。とばかりに。

正直、よくわからないんですよね。どうして、この人達は「女房を馬鹿にされて怒らない奴があるか? 目に物見せるんだよ! 拳で!」とはなるのに「同胞を殺されてんだぞ! 社会に示すんだよ! 俺達の怒りを! 拳で!」とはならなかったのか。禿頭を笑いものにされるのがとんでもない仕打ちなのは理解するとして、一人の生命を奪われたのに大人しくしている理由がありますか。容姿を馬鹿にしたら人がぶん殴られるんだから、人が死んだら暴動にスケールアップするのも不自然はないのでは。

もしも、人死と言葉による侮辱を比較するのは規模が違いすぎてわからないというなら、身勝手学生ドラムマンを音楽家が引っ叩いた話にしましょうか。もう5年も前ですが、かなりの人が「どんな理由があっても暴力はいけない」って吹き上がってたじゃんっていう。殴られた奴も納得しているポーズしてたのに。そんなの気にせずブチギレてましたよね。覚えてますからね。あの空気。

www.huffingtonpost.jp

この事件とアカデミー賞の出来事で態度変えた人は今後「どんな理由があっても暴力はいけない(いけないとは言ってない)」って書くか、アカウント名に言葉が大袈裟ってつけて一生噛み締めてほしい。

今回の件、俳優を擁護してる人も、コメディアンを擁護してる人も、半端じゃないですか。人の容姿を揶揄するのは良くないことだけど、セレブはセーフ! とか、人を殴るのは良くないけど、外道は人間じゃないからオッケー! とか。

僕はてっきり、「人の容姿を馬鹿にしてはいけない」とか「人を殴ってはいけない」みたいな夢のある話をしてるんだと思っていたし、そうであったらいいなと思っていたんですが、見てるとそんなことはない。どんな理由があっても許されないはずの暴力が女房が馬鹿にされたら許されるし、身分や位の高い人は馬鹿にされても仕方ない。

そんな条件付きで許されるような状態なのに「どんな理由があっても許されない」なんて言っちゃ駄目でしょ。

自分の恋人を馬鹿にされて義憤に駆られた、って聞こえはいいかも知れないですけど、彼女への扱いが悪いって暴れるイキりヤンキーも同じですよ。皆さんの中では妥当性が感じられなくても、ヤンキーは本気で義憤に駆られてるかも知れない。なのに、ヤンキーがイキりやがって……ってなるじゃないですか。みなさん、ヤンキーが嫌いか、ヤンキーに難癖つけられたのがトラウマになってるだけで、力を誇示して名誉を保ちたいと思っていらっしゃいますよね。

結局、日本ではコメディアン側に対する風当たりが強いのもテレビで芸人が言論人ぶって御高説垂れるイメージがあるから、同類とみなしてヘイト向けてるだけなんじゃないのっていう。容姿にコンプレックスを覚えてるから、病気でコンプレックスを抱えた女性に同情的なだけで。

それが正当な怒りなんだって言うのなら、御高説を垂れるセレブに辟易してる(らしい)アメリカ一般人から、BLM騒ぎで白人警察官の振る舞いに「あんなことができるなんて、一体どんな神経をしているんだ?!」とかしたり顔で語ってたセレブが同じような扱い受けるのも仕方のないことなんじゃないですか。怒りに任せて他人をぶん殴るって言行不一致もいいところですから、受け入れも許されもないでしょ。そりゃ。

www.billboard-japan.com

そういう意味では、さっさと謝罪の文章を出して、暴力を否定したウィル・スミスのことを僕は好意的に見ています。どんな理由があっても暴力は許されない。ってのは、つまりそういうことですからね。本人が本気でそう信じているかは別として、彼はその理論に則って行動はしている。やってしまったことは取り返しがつかないまでも、あれは良くないことだったと認めて、うだうだ正当化したりしてない。

受け入れられてねえけど、まあ仕方ないじゃない。それは。

theriver.jp

一方で、擁護してる人たちって信用がおけない。本当は音楽家の時も「ドラムソロを続けたぐらいで殴ることはねえだろ」って話に過ぎなかったのに、勢い余ってか格好つけてかで「どんな理由があっても~」とか言っちゃったんでしょうし、同様に容姿に対するジョークをセレブは笑って流すものとは言いつつも、かつての道化師同様「度を超えると鞭で打たれる」んだろうなと思ってしまう。

個人的には、人の容姿を物笑いの種にするのはよくないし、気に入らない奴の顔面に平手打ち込んじゃ駄目だと思っておるので条件も留保もつけずに「やめましょう」でいいんじゃないのって思っちゃうんですけどね。

*1:圧縮効率とかに言及するとプレーンテキストとムービーファイルだと話が変わる気がしないでもないですが無視します

*2:俺の使ってるテキストエディタならバイナリファイルとして処理できるとか言わないように