虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

人間はボットじゃないが、ボット行動するときもある話

虚木零児です。

月曜日のたわわの広告掲載に端を発した問題が、胸の大きな女性向けの衣服ブランドの社長にケチがつけられるにまで至りましたね。

まあ、現時点での女性権利運動は「性を感じてはならない」っていうキリスト教的教義と親和性が高く、原理主義的な方向に傾倒しつつあるのは、以前からお話していた通りですので、こういう先進的価値観が批判にさらされるのは、何ら不思議なことはないと思います。

もちろん、それが彼女に対する悪口雑言をぶつけることをなんら正当化しないという話をしつつ、もともとは自分を律する教義だったものが、他人を罰する規律になるのかについて考察します。

さて、現代フェミニズムの基盤には「構築主義構造主義)」があるとネット論客、青識亜論氏は指摘します。

詳細は上記Tweetからの連続投稿を見てもらうとして、構築主義的立場から見たフェミニズムでは「社会によって構築された欲望によって女性たちが虐げられている」のだから、社会による欲望の構築を妨げようとしているのだ。と解説します。つまり彼ら・彼女らは「男性たちの性欲という需要に大して、ポルノが供給されている」のではなく「ポルノが供給されることで男性たちの性欲が構築される」という論に則って話を進めようとしているのだ。と。

そうなると、HEART CLOSETの方の発言は「未成年の肉体に性を感じる」という許されざる禁忌の欲求を無垢な世の中に放っていることを認めているにも関わらず、それを止めようという意思が見られないので問題だ。という論立てになります。

確かに「今後は角と蹄のある草食動物を馬と呼んでいきましょう」って約束をしている時に「いや鹿だろ」って話をしてくる奴とは仲良く出来る気がしません。ふざけるんじゃあない。今後は馬と呼びましょうって言ってんだろ。殺すぞ。

あれは馬!!

吐き気を催す邪悪

こうして異論を唱える存在を排していけば、いつかはクジラ偶蹄目に属する四足歩行の蹄を持った細身の草食動物が馬と呼ばれる日は来るでしょう。奇蹄目に属する四足歩行で走るのが得意な草食動物に同名が与えられている以上、かなりの反抗が予想されますので、相応の犠牲は必要だとは思います。ただ、粛清を進めていけば、あるタイミングから鹿だろっていう人は急激に減っていくでしょうから全滅はしないと思います。別に鹿と馬を区別できないと困るような環境に身をおいていない人は命を賭けてまで鹿という名前を残すことに意義を見いだせないと思います。

人間も暴力や権威を振りかざす奴に対しては服従的な姿勢を取って延命を測る生き物であることは秦の時代からの成語にて伝わっております。

ja.wiktionary.org

まあだから、大学教授が肩書そのままに話し始めたのも、それが微妙な雰囲気になったところで国連機関の名前が持ち出されてきたのもごく自然なことだと思います。ただ、ウクライナに攻め込んだ国が常連理事を務めるような組織に怯むようなヘルジャップではないので、楽しい罵詈雑言祭りとなっているというだけで。

みなさんがせっせと「大学博士の歴史研究家がありとあらゆるマイノリティに対する差別をしている!!」とか喧伝しまくった割に自分たちが事務処理まともにできなかったり、例の戦争にも特に具体策を出せない組織ということがわかってしまった今、我々愚民が従うに足る存在なのか疑問がある。そんな中、その疑問視されている権威に縋って余計な事言っちゃうの逆効果なんですよね。権力を持って道理に通らないことを押し通そうとしているという印象を深めてしまう。

そう考えると、HEART CLOSETという「胸の大きな女性のためのブランド」の社長が月曜日のたわわに理解を示すのは逆に、胸の大きな女性の味方という権威がたわわ側についてしまうことになるのでよほど認められない。ただ、自分たちが異質なものを許さない狭量なので、心変わりは期待できない。だから「胸の大きな女性のためのブランド」という権能を奪いにかかっている。

そんなもん、どう考えたって、昨日今日始まった話じゃないんですよ。

このブランドの本質って、胸が大きいという一点で服装選びを苦労してきた人たちに対する救済なんですよ。実際、胸の大きな人には合わない、あるいは、不都合が出る服飾の記号を維持しつつ、旧来縫製だと発生してしまったトラブルを緩和ないし、解決するための工夫を施した衣服。それに需要があったから、供給するブランドとして成立しているんです。

で、逆にエロの側の本質って何を着ているかとは限らないんですよ。胸が大きいかだし、あるいは、それに加えて美しいかなんです。そもそも、性的消費のシンボルである乳袋だって、胸の大きさとボディラインのスリムさを両立するための表現として発達してきた訳ですからね。

つまり、HEART CLOSETの服を着て、今までは出なかったきれいな姿が出せるようになりました。大きい胸を大きい胸のままおしゃれ出来るようになりました。ということが発生した時点で、すでに起きていたはずの現象なんです。胸が大きいことが視覚的にわかりやすくなれば、当然、胸の大きさに執着している人間からは性的な魅力を感じ取られることになりますし、それはもう別に昨日今日始まった話じゃない。それがHEART CLOSET製品によるものか、それともまた別のブランドによるものか、あるいは現実味を配して生み出された絵画世界特有のものかなんて、どうでもいい部分なんです。

ただ、今回の出来事でどうやらHEART CLOSETというブランドの服だと、胸の大きな女性でも美しいシルエットが作るらしいということが知れ渡ったことで、「それはええやんけ」という話はありうるし、実際に名指しになっただけとも考えられる。

今回の出来事で「HEART CLOSET自身が自らの製品を性的なものとして喧伝してしまった」とでも思っている様子が感じられますが、別に企業なんぞからお墨付きを得ずとも人は自分たちで何がエロくて、何がエロくないかの判断はできるという簡単な事実を見落としている気がしてなりません。

感じ方は人それぞれ

人間の思想、感受性、あるいは判断の基準に育ってきた環境、触れてきた書物などのメディアによる影響はあると思います。ただ、影響があるのは認めたとして、多種多様な環境で育ってきた人たちがいる以上、同じ情報を与えられたとしても受け止め方や結論は異なってくる訳で、ある出来事に大して画一的な反応を求めるのって人間という種を理解できていないんだと思うんですよね。

他ならぬHEART CLOSET自身が公式アカウントにおいて「乳袋なんて下品なものと違うんで」みたいなPOSTをしていらっしゃいましたが、例えば文書の中に含まれているワードに反応するチャットボットよろしく、なにかエロい記号に反応して興奮するのだと思っているんじゃあるまいか。

ヤギがコンクリで固まってる画像で致してますって人もいて、ドラゴンが車にのしかかって腰を振ってるポルノ動画が存在する世界に向かって「はい、旧来の服にあったエロ要素を削ぎ落としました。人間はこれをエロく感じることはできません!」みたいな話が信用される訳ねえだろっていう話なんです。そして、同様に「あるタイミングでコンクリに固められるヤギの姿を見た者はヤギコンクリ癖に目覚める、逃れることはできない。決して」とはならんでしょ。っていう話なんですよね。

改めて言いますけど、人間って刺激を与えると反応を返す箱とかじゃないんですよ。殴られたら怒って殴り返す人もいれば、痛みに泣いてしまう人もいる。動転して逃げてしまう人もいるでしょうし、わけも分からず呆然とする人だっています。更に加えて言えば、感知機能の鋭敏さも人によって違うし、取得した情報の処理システムだって全く異なるわけで、同じものを見せられて同じ反応が帰ってこない理由なんて無数に考えられます。

多様性なるものが声高に叫ばれるようになって久しく、みんな口先では素晴らしい素晴らしいと褒め称えてみせるのですが、一度、不快な感情が想起されたら、ある種の反応以外は許容しないっていう狭量さがむき出しにされるのは、得も言われぬ味わい深さがあると思います。山といえば川、LGBTといえば多様性みたいな合言葉と思われているのではないかという疑念と、特定のワードを見つけたら用意していたそれっぽいワード返すだけのチャットボット同然やんけ、という気がしないでもないのですが、彼ら・彼女らもまた人間であるはずなので、皆様に起きましては最低限人間として文化的な扱いをこれからも続けていただくようお願い致します。