虚木零児です。
世の中には定常的に開催されていて、行ったほうがいい催しがあります。例えば献血とか。
……はい。キナ臭いことがあればいっちょ噛みすることでしか生を感じられなくなった男が通ります。
誰とは言わないですけど、この手の話題は何年かおきに繰り返されますので、いつか役に立つ日が来るかもしれません。
行ったり行かなかったりする
実は世界には二種類の人間しかいません。催しに行く人と行かない人です。

注意)以後、図に出てくる円の大きさは適当です。現実に即してはいませんし、僕の理想を示しているでも、考えを強く反映しているワケでもありません。ご了承ください
究極的には催しは何でも構いません。それこそ献血でもいいし、落語の寄席でも芸人のライブでもいい。定期的に開催されていれば何でもいいです。その催しに行く人をA群、行かない人をB群とします。仮に。今回はほぼ同数ですよ、と。理由なんかは一旦無視します。面倒なので。
主催者はある日、(テコ入れの)特典をつけることを思いつきました。クリアファイルを配るのでも、アイドルと握手をできるでも何でも構いません。ソフトクリームを配ってもいいでしょう。とにかく、恒常的でなく、期間が限定されている特典が貰える……まあ、イベントです。それで人を予防と画策しました。そうすると、こうなりますね。

「いつもは行かないけど、アイドルと握手できるなら行ってみようかしら(図中でいうイ)」という人が来てくれるようになりました。やったぜ! ただ一方で「こんな卑猥なポスターが貼られているなんて破廉恥だわ。やめましょう!(図中でいうア)」という人も居ました。それは残念。増減する人数は催しとイベントによって変動するにせよ、こういう変動が起きるのはほぼ間違いありません。
そして、このイベントはいずれ終わるので(期間限定なので)C群、D群はやがて解消されます。するとこう。

イベントでC群になった人にも「あらあの不快なポスター無くなったのね。今日は寄っていこうかしら(図3中の1)」という人もいれば、「あんなイベントを開催するなんてもう二度と参加しない(同じく4)」という人もいるでしょう。同様に、D群も「目当てのモンがもらえてよかった(同じく2)」で終わる人もいれば「この程度のことならイベントとか抜きにして定期的に参加していいな(同じく3)」という人もいるかも知れません。
で、構図としては図1と同じ、行く人をA群、行かない人をB群としたモデルに戻り、少しだけ顔ぶれが変わった以外は同じ日常が続けられます。すべて、世は事もなし。……使い方あってるか?
俺達の目指すべき世界とは
このイベントの効果について議論するとなると、目的設定が大事になります。これが「そもそも、催し物が気軽に参加できるものだと周知したい」とかだと、図2で言うところのイ:が増えればよい。例えば、初心者交流会とかそういう極端な例であれば、もともとA群だった人を弾くことすらあります。人間は嫌でも場所を取るので、狭い陽だまりからは何かを弾き出してしまうことがある。それが業というものです。まあ、彼らは図3でいう「1)イベントがなければ戻る」がわかっているので、そういう立ち回りが許されるのもあります。
それで言えば、件の献血なんかはどうでしょう? 慢性的に不足の話が上がり、またA群から取れる血液の量にも限度がある(健康上の理由から期間を開けたりしないといけない)のだから、たとえB群に戻ってしまう人間だとしてもD群をうまく利用したい……というのも、わからない話ではありません。言ってしまえば「A群+D群」がイベント前のA群れより多ければ【ヨシ】とする、いう考え方ですね。まあ、血液型とか考えると闇雲に増やせばいいというものではないのでしょうが……
つまり「動機は何でもいい」とは「A群が増えようが、D群が増えようが一緒だ」という主張です。もちろん、今後のことを考えるとA群が増えたほうがいい――図3における3)が増えたほうがいい――かもしれないが、イベントを行った時点で血液を補充する、保管量を確保するという目的はすでに果たせています。
一方で、A群とD群を区別する理由って何なんですか?
D群の人よりA群の人の血液のほうが嬉しいだろう。D群の血液のほうが問題があるに決まっている。このあたりの言動は「A群の血液とD群の血液を区別したい」という願望から逆算して出てきた、後付の理由なのだろうと思います。だから、実態にそぐわない。
逆に、現実の血液事業として重要なことは献血に訪れた人が健康を害さないかつ、輸血などで取り入れた際に感染症などを拡大させないことにあります*1。つまり「献血をしたい」となっても、体調面や衛生面などで問題があれば、それは献血に協力いただけません、となる。切り分けるとすればここで、「献血する意欲がある/ない」「献血できる体調・余力がある/ない」の2✕2の4パターンに分かれることになります。
図2の様式に合わせるとこんな感じ。

A群とC群は平素から献血に興味を持ち、可能であれば行いたいと思っている。が、A群と違いC群は何らかの要因から献血が行えず、忸怩たる思いをしている……のかも知れません。
そんな時、普段は興味も関心も無い癖に、アニメのグッズが貰えるとなったら献血に集う輩、D群が貢献していると認められていたら? どう思うでしょうか?
……まあ、知ったことじゃないんですけど。
邪魔ってそういうことですよ
原理的な話をすると、体調や体質などで献血を出来ない人って言うのはそれが改善しないとA群には絶対になれない。で、それが献血の前日から好きなお酒を絶ちます、ぐらいの気軽さで改善するならともかく、毎日、苦しくなるぐらい食べて、しかも、好きでもないタンパク質を多めに摂って、体型維持のために運動量を増やしてしっかりと体質の改善を行ったらあるいは……みたいになってくると、そんなに待っていられるか? って話になるんですよね。
それよりは「え! 今ならギルガメッシュのイラスト付き栞が貰える?!」でふらーっと入って献血できる人の方が協力を仰ぎやすい。現金の話をすると、体調・体質の改善のために生活レベルで支援するより、粗品で釣れる方が安上がりなのもあります。
まあ、わかってくれよな。血液を確保するという目的であれば、普段来ない健康優良体を釣ってきた方が手っ取り早く、有効である。という本質的な部分を指摘されるのは不快に感じるのかも知れませんが、事実は事実として受け止めてほしいと思います。「ただ確保すればいいというものではない」とか「意欲を持って献血してくれる人と同一視してはならない」とやたら意欲を持ち上げた所で血液がなければどうにもならない。図4で上側に居るのが重要なんじゃない。左側に居ることが重要なんだ! ってのはまあ確かに言いたいこともわかるかな、と言った所なんですが「右側にいる奴はクソ」とまで言ってしまうと話が変わってきてしまいます。
正直、献血の現状、血液事業に逼迫具合は外野の僕にはわからないわけですが、相応の使命感を持って献血が出来ている人たちは肌感として程度を知り、同時に「血液を不足させてはならない」という課題意識を共有している人も居るでしょう。また、実際に事故や病気で血液が必要になった人たち、彼らを見た人たちも「献血された血液の貯蓄(?)がある」ことのありがたみを実感していることでしょう。献血をしなければ使える血液は増えない訳ですから「我、高邁廉直なり」と叫んだ所で、どれぐらい献血しましたか? していない? え? というお話になるのもむべなるかな。ああ、今すぐ輸血を受けなければ! ってタイミングで「僕の体調が良ければなぁ!」みたいな話を聞かされてもどうにもなりません。想いだけあっても、血がなければダメなんだ。
理想は両方を備えていること、というのは理解しつつ、どちらか片方しか得られないとなった時、どこを重視するかは結局、実利なんじゃないですか? 免許はないけど腕前は天才的なブラックジャックと、免許は持ってるけど資質に問題がある竹田くん。エンタメで済ませられるのって前者だけじゃないですか?
*1:売血が問題視されたきっかけはそれこそ感染症です