虚木零児です。
寒くて死にそうです。
武蔵野市条例案否決に関して「市民の七割は条例に賛成している」旨のTweetがありました。
武蔵野市議会で外国人に投票権を認めた住民投票条例案否決。住民の7割は賛成している。否決した議員の落選運動をやったらよい。
— 上野千鶴子 (@ueno_wan) 2021年12月21日
これは大きな問題です。市民の七割が賛成している条例が否決されるなんて、民意が蔑ろにされていると言っても過言ではありません。こんなことが許されていいのか。
は、どうでもいいので、置いておくとして、一体全体、どうしてこんなことが起きるんでしょうか。
理想と現実に食い違いがあるなら、その原因を突き止めて改善しなければ意味がありません。我々も次のステップに進むため、無い頭を絞って考えてみましょう。
まず、ある個人と投票した議員の意見が異なること、これは当然といえば当然の出来事であります。
現実的な問題として議会制政治において市民、ないし有権者における賛否の分布が議員における賛否の分布と一致しないことは起こりうると思います。賛成する市民からのみ信任された、あるいは反対市民のみ信任した議員ばかりとは限らない訳ですから、反対する市民から支持を集める議員に投票した賛成派の住民の意見は議会に反映されなかったように見えるでしょうし、逆もまた然りです。
公選によって市民の代表を選ぶという性質上、各個人のすべての思考・思想を代弁してくれる人物はまずありえません。議員個人の思考・思想に反するという可能性もありますし、支持者の間でも意見が別れていて綱引きの結果かも知れません。もし、仮に「住民投票ぐらいいいんじゃない?」と思っていた人がいるとして、その方が議員に票を託したとします。それでも、同じ議員を応援する人の多くが「いや、外国人の参政権にも繋がりかねない。慎重に議論を進めるべきだ」と言うのなら、議員が代表意見として「慎重に議論すべき問題だ」を持ち込むのは仕方のない事だと思います。
要するに、市民の代表であって、ある個人の代表ではない訳です。
だとしても。住民の七割が賛成している事柄について、議員たちの手で却下されるというのは不思議な感覚がある。議員たちが真に市民たちの代表であるならば、過半数を超える賛成を集めた議題が否決されるはずがありません。
といったところで、反対意見をば。
日本の最高学府で教鞭をとっていた社会学者でさえ、この体たらく。
— HND-Base (@BaseHnd) 2021年12月22日
武蔵野市民 148,000人
アンケート対象 2,000人
有効回答数 509人
賛成意見 約350人
350/148,000人(=0.24%)この数字を、「住民の7割」というのは暴論。
やはり社会学者に統計の理解は無理か。 https://t.co/86vsKXYrRX
上記の数値は新聞におけるアンケート結果の数値なのだそう。冒頭の住民の七割という数字は「対象2000人に対して行ったアンケートの有効回答数509人中において7割」が賛成の内容でした。というのが実態の様です。
ここだけで不安要素はいくつか浮上します。アンケートの内容は適切だったか? 回答サンプルに何らかの偏りはないか? 市民全体の意見とするに足るサンプル数か?
正直、統計について全くわからないのは私も一緒なので、暴論かどうかについては賛否を判断いたしかねます。ただ、住民の多くが賛成しているのに議会では否決されたというギャップが生じた原因はここにありそうです。
現時点ではっきりしているのは、今の僕に武蔵野市住民たちの民意はわからないということです。アンケートが信用に足るという確証もなければ、アンケートに不信を抱くだけの材料もありません。ただただ、こういうアンケートの結果があり、それに反するような決定が議会によってなされたという状況があるだけ。
つまり、現時点ではアンケートが正しく民意を反映している可能性と、アンケートが正しく民意を反映していない可能性の二つがあるということですね。
アンケートが正しく民意を反映している場合、市民の代表たる議員によって構成された市議会においても賛成多数で可決されるのが自然です。しかし、実際は否決されているのだから、議員と市民との間に何らかの差異が生じています。民意が議会に正しく反映されていない訳ですから、議会の選任システム、選挙に不備があるのでしょう。
否決票を投じた議員の落選運動をすればよい。と冒頭に上げたTweetにもありますが、それで果たしてこのギャップが解決するかには疑念です。否決票を投じる議員が首尾よく落選したとしても、別の議員がその席に座ることになります*1。新しく座った別の議員とやらが賛成してくれるのかは現時点では未知数としか言いようがありません。
議員は立候補する人間がいて、その中から市民たちに信任を受けるという形で生まれます。だから、本当に必要なのは反対する議員の首を賛成する議員にすげ替えることであって、反対する議員の首を刎ねるのは手順の1つ目に過ぎません。今、目に見える反対議員に的を絞って追いやった所で、次の反対議員に議席を取られたのでは意味がないですよね。
つまり、反対する議員を落選に導くと同時に、賛成する議員を当選させる。この二つが必要となります。これがもしも、本当に選挙という制度の不備の所為で、反対派の議員に有利に働くような部分があるのであれば、それを取り除かねば解決しません。議会にケチをつけたり、すでにいる議員の追い落としをしても、賛成議員が当選しなければ結局は同じことです。
冒頭のTweetにはその観点がありません。アンケートでは十分な数の賛同者がいるはずなのだから、民意が反映されない選挙の問題点を解決する必要があり、そこに手を付けずに反対派の議員の追い出しを始めようとするのは「何だかなぁ」という気持ちになります。
さて、ここまではアンケートが民意を正しく反映しているという前提に基づいていました。では、逆に反映できていないのだとしたら? 住民たちは条例案について否定的で、正しく反映された議会において否決されたのだとしたら?
今回の条例案は住民投票の投票権を今まで持っていなかった人たちにまで拡充しようという条例ですから、住民の中には有権者かつ住民と、現時点では有権者ではないけれど条例によって投票券を得られる住民の二種類は少なくとも存在しているはずです。投票する権利を得られることは政治に口を出せる機会を得ることなので後者が賛成しても不思議なことはありません。自分たちの暮らしを改善することに繋がるかも知れませんからね。
ですが、同時にもとより権利を有している人間が拡大に消極的というのも無理からぬ話と言えるでしょう。当人らには直接の利益がない上、利害が一致しているかもわからない人間も政治に関ってくるのではないかという疑念が出るのは至って当然のことです*2。
有権者とそれ以外の住民も含めた全員からアンケートを取ったのであれば、結果と議会の判断が異なることも不自然ではありません。無権者の賛成が多くとも、有権者の多くが反対しているなら、有権者の代弁者である議会は反対が優勢になるようにできています。市議会は有権者たちの代表であって、住民全員の代表者ではありません。それを議会の行く末を占うアンケートにしようとするのは不適切なサンプルを選んだアンケート実施側の落ち度でしょう。
とはいえ、「回答数が500人程度の賛成だから、住民全体の0.25%程度だ」というのもおかしな話だとは思います。アンケートなんて一部から全体の傾向を類推するという考え方なのですから、賛成人数が全体数に比べて少ないことは問題になりません。アンケートが正当なもので武蔵野市民の傾向が7割賛成なのだとすれば、アンケートに答えていないものの問われれば賛成と答える人が7割程度いると考えてよいのです。実際の回答数が住民全体の0.25%というのは事実でしょうが、残った人間が全員反対するという根拠はどこにもない以上、賛成者はたったこれだけと言うのは不誠実です。
アンケートの回答から全体を類推したいのなら、どういうサンプルの抽出方法をして、どの程度の有効回答が必要で、今回のアンケートはそれと比較してどういう部分が不足しているから疑念が残る。という意見なら賛成もしやすいですが、今回は住民全体の0.25%じゃねえかという意見しかないので……。
もちろん、無作為に抽出した(であろう)2000人の内25%が回答したアンケートが、有権者120,000人の内46%が投票した選挙よりも民意を正確に反映しているという根拠も見当たりません。何度も言いますが、選挙によって民意が反映されないのであれば、それは制度の抜本的な見直しを訴えるべきでしょうが、選挙に問題がないと思っているのであれば、新聞社によるアンケート自体の信頼性が怪しいと思ってしまいます。
某人が「いい人だけの国を作りたい」と漏らしたように、左翼に括られがちな人々と有権者との乖離が激しくなっている印象は私にもあります。新聞で自民不調の記事が出ながらも、いざ開票してみると自民党が勝っているという話は何度か見かけました。正直、新聞のアンケートに回答してくれる層と、選挙に票を投じる層が一致しなくなっているのではという疑念はあります。
それでも新聞のアンケートこそが真実の民意なんだと言うのであれば、その真実の民意とやらが政治に反映されるようなシステムの構築を頑張ってほしいと思います。今まで以上に政治へのダイレクトな影響力を与えられるようになれば、市民も国民も不平や不満は出ないでしょう。
もちろん、満足してる人らは抵抗するで? 選挙で。
……若干、詰んでるような気がしつつ、ここいらでさよなら。