虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

その浅薄な物言いを許すのか

虚木零児です。

SNS上での流言飛語が飛び交うようになれば、新聞や週刊誌などといった編集者のいるメディアの価値が相対的に上がっていくだろう、という希望的観測を目撃したことがあります。

個人的にそんな訳ないだろ。と思って保全も何もしなかったのですが、今にして思えば新聞記者か週刊誌記者のポジショントークだったんだろうと思います。

こんな記事を出しているようじゃ、匿名アカウントの戯言と大差ないんですよ。

news.yahoo.co.jp

言葉が軽く、思慮が足りない

全編通して読むのもしんどくなるぐらい酷い記事ですが、まず冒頭の部分だけでとんでもないことが書いてあります。はっきり言えば、「こいつ、生きてる中で言語使ったことないのか?」と疑うに足ります。

「近年、ルッキズム(外見至上主義)という言葉が登場しました。この“イズム”というのは、セクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)などの言葉にも使われているように、“差別”という意味です。

なるほど、いわゆる末尾にイズムがついている中にはエイジズム、ファシズムマキャベリズムといった、悪い印象を持たれているものもあるでしょう。

とはいえ、イズムとはすなわち差別である、とならない人の方が多数ではないでしょうか。ナチュラリズム、フェティシズム、ペシミズムなど、必ずしも差別的な意味合いを持たないイズムは存在するからです。

何より、発言者である上野千鶴子ご本人も関係が深いであろうフェミニズムリベラリズムも、末尾はイズムじゃないですか。

堂々と差別を標榜されながら、のうのうと他人の差別に難癖をつけられるとは驚愕いたします。

そもそも、少しググるなりすればわかる話なのですが、現代社会においてイズムとは「主義・特性」などを表す接尾辞と整理されています。Playerにおける「-er」や、pianistにおける「-ist」などと同じである単語にくっつけて、違う形に変えるような作用を起こすものです。

例として挙げられたルッキズム、セクシズム、レイシズムもそれぞれLook(外観)、Sex(性別)、Race(人種)にismをくっつけたものに過ぎません。外見差別、性差別、人種差別のいずれも、分別にいたる際に重視している要因――いわゆる、こだわり――が外見か、性別か、人種かが異なるだけ。だから、それぞれの要因+ismで表現されているのだ。ぐらいのことは日本語圏で生活していても自然とわかるかと思います。

例えば、落合博満の独自の思考に基づいた采配が「落合イズム」と呼ばれたり、あるいは「ゴーマニズム」という造語もそれなりに知名度があるでしょう。いずれも差別といった意味合いよりも、主義や思想、あるいは、それらに基づいた行動を表す言葉と認知するのがより自然な理解です。

確かに外見や性別、人種によって人を分別し、扱いを変えるということは非難されてしかるべき行動と言えます。私自身もLookismやSexism、Racismが差別でないという主張をするつもりもありません。しかし、だからといってismが、つまり、主義や主張がすべて差別であるはずがない。

にも関わらず、それら全てが差別であるかのような誤読をしかねない内容を平然と言ってのけてしまう。そして、それを著名な社会学者の言葉として素通しして掲載し、自身の記事としてしまう。

それが責任あるメディアの振る舞いなんですか?

知性によるフィルタリングを持って、無責任な内容を世に出さない、信頼に値する情報だけを世間に広げるという点において、学者や出版社が信用を得ているのであって、こういった浅慮かつ邪悪な物言いを許しておいて、匿名アカウトの無責任さをどうこう言えた立場でもないと思いますが。

信頼・信用に関わる問題だ

上野千鶴子ご本人も主張されている通り、女性のオーダーは一元尺度で外見さえまともなら能力はどうあれ評価されるのでしょう。多元尺度の男なら「イズムって差別なんですよ」と抜かした時点で「へー、じゃあお前の大好きなフェミニズムリベラリズムも全部差別なんだー」と劣悪な知性を茶化されるところですが、女性の評価尺度には知性がないので一安心という訳です。

女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。

いやいや、上野千鶴子社会学における功績はすごいんだ。というのを認めたところで、社会学の大家として大成した人間が間違えたことを言っても問題にならないというのは、あまりに権威主義(Authoritarianism)的なんじゃないですか。あるいは同じ社会学者として問題視しないというのなら縁故主義nepotism)的な扱いに見えてきます。どちらも、当然、イズムなんだから差別ですよね?

もちろん、これは彼女の物言いを素直に解釈するなら、という但し書きをつけての話ですので、本当に上野氏がそう考えているとは思っていません。当然ですが、私も同様にそうは考えていません。

しかしながら、近年の~イズムという言葉がこれだけ広く使われている世の中で、イズムとは差別のことです。という言葉を言ってのける感性、知性、感覚には疑念を抱かずにはいられません。

発言者本人が純朴に「LookismにもSexismにもRacismにもイズムがついているから、イズムとは差別を表す言葉なんだ!」と信じていたのだとすると、その感受性や分析力に対して大いなる疑問を抱かざるを得ません。

例えば「Liberalism」や「Feminism」といったイズムが存在を知らなかったというのなら理解はできます。彼女が知っているイズムがいずれも差別的な主義であったのなら、イズムが差別の意味を持つと誤解するのも無理からぬことです。

ただ、社会学者を名乗ったりフェミニストと扱われる人がそんなことでどうするんだという話です。知らなかったで済ましていいんですか。

どちらとしてもそれなりの大家とされている以上、そんなはずはないでしょう。であるならば、これらの共通点について見落としていたか、発言する際にきれいに抜け落ちていたか、もしくは、意図的に無視をしたかのどちらかと考えるのが自然でしょう。

前者2つは言うまでもなく大きな問題です。学者としての知見を求められている場面において考慮を漏らして不正確な言葉を全世界に向かって発してしまった訳ですから、撤回、訂正、謝罪などの何かしらの対応があっても当然と言えます。言語学者ではないですからismの正確な意味を知らないのは仕方ないですが、それでも、社会における-ism言葉の中から差別的な主義や理念を抜き出して、-ismとは差別を指すのだという言動が迂闊であることは否めないでしょう。抗議などを受けたとしても不思議はありません。

そうではなく、セブンポスト読者に向けて省略や平易化をした結果があの言葉なのだとしたら、それはそれで問題があります。読者層の知能レベルがかなり低く見積もられていることもそうですが、悪意すら感じる省略の仕方をしているからです。

ことを単純にするためにいくつかの例を抜き出したのはいいでしょう。その例を偏らせばかりか、世間一般の通念とは異なる意味を差し込んでいる訳ですからかなり悪質なやり口に感じます。主義や理念と言った主たる意味ではなく、それらから転じてできた差別の意だけを抜き出してきたのは擁護できません。うるう年を教える際に、4で割り切れる年だけ言って西暦年号が100で割り切れて400で割り切れない年は平年とする例外を伝えないのとは訳が違います

以前、ご自身の著書で「自説に不利なエビデンスは隠す」といった主旨の発言があったことを受けて、一部界隈で騒ぎになっておりましたが、今回のことと合わせて見ると「自分の発言の補強するためには平然と事実を捻じ曲げる」のを悪とすら思っていないだろうと邪推するに足りると個人的には思います。あるいは事実を捻じ曲げているという自覚すらないのか。

まあしかし、こういった事実に基づかない記事を平然と掲載して、他人を悪し様に罵っても何ら恥じ入ることのないNEWSポストセブンを運営する小学館が、ジャーナリズム(journal+ism)誌などと掲げているのを見ると、なるほどイズムとは差別のことだなあと感じるのもまた事実。

いや、まったく、上野千鶴子の慧眼には恐れおののくばかりですね。