虚木零児です。
奇遇にもこの記事をご覧になった皆さんは、人生の中でどの程度文章をお書きになられてきたでしょうか。個人的なやり取りをするチャットやメールでしょうか。お仕事の中でメールのやり取りされることもあるでしょうか。
何が言いたいかと言うとですね、こちらのTweetを見ていただきたい。
いったい誰がカウントしてたんですか pic.twitter.com/XxymBlGhsB
— きみこ (@kimiko_y_re) 2021年12月13日
誰がカウントしたっていう引用した人の指摘も尤もだし、最初にリプライした人の「見てただけなんですか?」という質問もわかるんですよ。それに対する返事は全く意味がわかんねえ。
このちょっと見ただけで「ウソなんじゃねえの?」って疑える臭さもすごいんですけど、更に凄いのが読めば読むほど何が言いたいのか意味がわからなくなっていく所なんですよね。
先のTweetでは引用部分がスクショになっていて、環境によっては見にくい人がいるかも知れない。ということで、全文文字起こししたものがこちらです。
本邦初、すごいカミングアウト。私の毒夫は、結婚後5年間様子をみて「まあよい親になるだろう」と思って子どもを作ったにも関わらず、3歳の娘の顔に12連発の蹴りを入れて(仕事帰りの私が目撃した)息子の顔もよく殴ったし、家族を支配した。私は100%子どもたちの味方についたが相当苦労した。
まずは私なりに事実だろうと判断した部分と、書いた人間の推測だろう判断した所に分類します。
おそらく事実だろうと読み取れたのは以下の点ですね。
- 筆者は自身の配偶者との間に子供を作った
- その配偶者は娘の顔に蹴りを入れた
- 同じく息子の顔もよく殴った
- 筆者は苦労した
逆に以下の部分は筆者の推測、ないし主観が混じっていると感じました。
- 日本で初めて告白するものである
- 結婚後5年間の振る舞いから、配偶者は「よい親になる」
- 娘の顔を12発蹴った
- 家族を支配しようとしていた
- 筆者は100%子どもたちの味方についた
上記を踏まえた上で、文章の頭からちょっとずつ理解して行きましょう。
最初の一文はこの話を筆者が初めて公開したという宣言です。正直、どうでもいい話ですね。筆者がいろんな場所で百万回言った話だろうと、初めて見る人の目に届けば、その人にとっては初めて得る知見な訳ですから。ただまあ、少なくとも本人の主観的には今までおおっぴらに公開したことはないのでしょう。
それを「本邦初、すごいカミングアウト」ってちょっと違和感ありますけどね。自分の事なんだから、自分の行動として書いてくれたほうが読みやすい。例えば「今まで誰にも言えなかったことだが」とか。
ま、どうでもいいんですけど。
次の文に目を移しましょう。長い上に主語が入り混じっている上に、一部が殺されていて非常に読み辛いですが、文章前半あたりにある「にも関わらず」までに3つの動詞が書かれています。
- 結婚から5年間様子を見た
- 「まあよい親になるだろう」と思った
- 子どもを作った
実際の文章に目を戻すと、主語あるいは、主題とも読める「私の毒夫は」という記述があります。ですが、この3つの行為において、彼が動作の主体になっているのは3番の子供を作っただけに見えます。残りの2つ、結婚から5年間様子を見たのも、そこからよい親になると推測したのも筆者ですよね。流石に、子どもを作るのに彼が無関係ということはないのでそこには関わっていますが、配偶者がよい親になると判断できたから子どもを作る決心をつけたのは筆者もであり、毒夫一人の判断ではありません。
ここだけ見ると、コントロールしてるのはどちらかといえば筆者の気がしますが……まあ、いいでしょう。筆者の文章が下手なだけで、毒夫が5年間の生活の中で自分は人の親になれると確信したという趣旨のことを書いたつもりかも知れません。ここまで文章がめちゃくちゃだと、こっちの理解にも限界がありますからね。
さて、続いて「にも関わらず」というワードが出てくることから分かる通り、筆者はよい親になるだろうと推察した毒夫から裏切りを受けます。娘や息子に暴力を振るい、支配しようとしたのです。特に3歳の娘に対しては顔面に蹴りを12連発……酔ってんのか?
12発という蹴りの回数カウントではなく、連発と続け様であることを強調してしまったのは何なのか。正直、昔に流行ったの怪レい日本語がよぎりますね。連発はどう考えてもまずいし、おかしい。
前述の通り、該当のTweetにはツッコミが入っています。
Q:12発の連なった蹴りの間、あなたは何をしていたのですか?
A:私が気づいたのが12発目でした
毒夫が私の目を盗んで蹴っていました。気づいた時には12回目でした。という言い訳を通すには、連発が本当に邪魔なんですよ。冒頭で画像引用した人の言う通り、それが本当に12発目である証拠もないし、12発目まで気づかなかったのであれば、連発だったか否かもわからないんですよ。それを連発と表現しているのは……
まあまあ、いいですよ。別に。筆が滑ったということにしておきましょう。
考えてみてください。重要なのは「筆者の配偶者が息子や娘に暴力を振るった」ことであり、「筆者は子どもたちを守るために100%味方をした」ことでしょう。被害部分にリアリティが無いとか、誇張されている恐れがあるとか、置いておきましょう。
誇張抜きにしてもまだ違和感がありますが。
あのTweetの中で言ってることが事実なら子どもたちとその父親――筆者から見た配偶者――は対立しえないと思います。なぜならば、子どもたちは意思や判断力に劣る――という話は以前から小児性愛の話題の度に出している通り――ので、大人からの庇護を必要とする存在だからですね。暴力男と張り合うには幼い兄妹――ないし、姉弟はか弱すぎる。支配する側とされる側という構造にはなっても、される側の子どもたちが弱いので張り合う形にはならない。こういった毒夫のような存在の反対側に子どもたちが立てないからこそ、小児を暴力などで支配しようとする行いは大人に対するそれよりも悪質なのだと、まことしやかに小児性愛者をブン殴ったことを忘れてはいけない。
この時、筆者がすべきだったのは味方をする――つまり、息子や娘の側に属する――ことではなく、父親と対立して防波堤のように彼らを守ることだったと思うんですよ。
というより、苦労したと自称する以上、おそらくは問題の父親と戦ったんじゃないかと思うんですよね。実際に何をしたとは書かれていないので、父親の暴力を非難したのか、父親が子どもと接触できないように方策を講じたのか、それとも司法に委ねたのかはわかりませんが。流石に何かしたでしょう。虐待を止めようとしないのは虐待に加担していたも同然ですからね。
さて、文書を私にできる限り最大限好意的に解釈した結論としては「良い親になると思った夫が子どもに対して暴力を振るったので苦労した」というのが主旨でしょう。今まで誰にも言ってなかったとか、実際の暴力の内容については端折りましたが、それも加えて書き直すと……
今まで誰にも言ってこなかったが、結婚生活の中でよい親になると信じた夫が、実際は3歳の娘の顔に何発も蹴りを入れて暴力で脅すような奴だった。息子も日常的に殴られていたし、当時は子どもたちを守るために苦労した。
これで102文字。もとの文書にあったエッセンスは極力残しつつ、論理的に不自然な部分はごまかしてみました。
世間受けを狙うなら「夫の本性を見抜けなくて悔しい」とか、「自分が騙された所為で子どもたちにいらん苦労を掛けてしまった」とか、自分を下げつつ聞こえのいいフレーズを入れるのですが、そういう工夫は一切されていないのでしてません。というか、文章から自責の念は全く感じられなかったので入れたら元の文章からぜんぜん違うものになっちゃうかなって……。
といった所で終わっておきます。さよなら。