虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

消えていったモノたちを弔う為に

虚木零児です。

燃え広がる炎がいろんな人のいろんな物を燃やしていきますね。信用とか矜持とか、あるいはいろいろですけども。つまり、もとから燃えるような財産を持ち合わせていない人間が有利ということです。俺の時代きたな。いや、きてない。

背負うものが多いと不用意な発言もできなくなっていくものです。いろんな方面に気を使っていると言いたいことも言えたくなる。そりゃ、毒吐きたくもなりますよ。

だから、ある人が発言を消したとして、それを揶揄するのは可哀想だなとは思うんですよね。彼ら/彼女らにも社会があって、生活があるわけで、それらを全部ドブに捨てろっていうのもどだい無理な話じゃないですか。彼ら/彼女らがそれぞれの理由からなかったことにしたいという気持ちは尊重してあげたい。

それはそれとして、指差して笑うのって楽しいよね。というのが今回の趣旨です。

 

「オタク気持ち悪い」っていう"表現の自由"に傷ついたであろうオタクたちが、必死に"表現の自由"を守るのは「自分も加害側になりたい」という意識の現れだ。だからオタクは食い物にされ続けるんだよ。

っていうPostがかつてあったと聞きます。そして今はもうないとも。

最近の傾向からわかるとは思うんですが、例のポスターの絡みだと思われます。あのポスターを表現の自由を盾にして守ろうとする連中に痺れを切らして揶揄してしまったんじゃないかと邪推しておりますが、まあ、本音の所はご本人にしかわかりません。もしかしたら、誰にもわからないかも知れない。

消えた理由もよくわかりません。本音を出しすぎたから、と推測している人もいましたが、個人的には違うと思います。オタクたちの反発を恐れた、とか、内面的な差別に気がついた、とかでもないと推測しています。この発言が致命的にまずいのは「オタク気持ち悪い」という言葉とオタクたちの好む萌え絵を"表現の自由"というくくりで同列にしてしまっているというただ一点だと思います。たったの一点ではあるんですが、なかったことにしなければいけないんですよ。これが。

 

根本的な話から始めるとポスター規制派が言う「過剰に性的なニュアンスを含んだ表現は公共の場に相応しくない」という主張の根底には「表現には公共の場に存在を許される表現と許されない表現の二種類がある」という考えがあるのに異論がある人はいないと思います。「隠れてやる分には何も言わない」という尊大な物言いや、キレたオタクに「基準を見せろよ」って詰められては「見ればわかる」「わからないのはお前の感覚が麻痺しているから」と嘯く態度から明白ですよね。今更、境界線なんてないなんて言ってもその場しのぎの嘘にすらならないでしょう。通ると思っているなら、感覚が麻痺どころか死んでいるといっても過言ではないと思います。

一方の表現の自由では許される表現と許されない表現を分けません。表現は基本的に存在を許されます。天皇の写真が燃えようが、胸の大きな女性が胸を張っていようが、存在は否定されません。

ただ、その含意について批判は受けます。「君の発言は差別的な発想が根底にあって、とても支持できるものではない」ぐらいの批判は普通に受けます。たまに存在が許されることを批判なく受け入れられることが同じ意味だと思っている人がいますが、そもそもある発言の誤りや不適切さを指摘するのも表現の自由の範疇ですからね。表現の自由はあなたの発言機会は守りますが、あなたの論の稚拙さを守ってはくれません。

そういう意味では、表現の自由を死守しようとする頑なさ故に、心なき人々からの「キモい」という罵倒を受け入れなければならないんだ。という指摘は正解です。「人を傷つける発言」を禁止してしまえば、いちいち傷を負う必要はありません。そういう意味ではある種の人間にとっては優しく映るのも無理はない。素晴らしい。

 

ではまず、オタクを気持ち悪いと言ってるヤツを黙らせてくれ。

 

冒頭の発言のマズい所ってここなんですよね。これじゃまるで「オタク気持ち悪い」が人を傷つける悪い表現みたいじゃないですか。

……いや、「人を傷つける悪い表現だろ」って意見が出てくるのも想像できるし、ぐうの音もでねえほどその通りだとは思いますよ。けど、冒頭の発言をして、それから消した人は「オタク気持ち悪い」を悪い表現に落とし込みたくはなかったんだと思うんですよね。だって、ポスターを規制したい人たちがかなりの割合でオタクに気持ち悪いという感情を持っていて、それらを何ら躊躇うことなく放っていますからね。オタクの血液なんかいらないと言って憚らない人たちに「オタク気持ち悪い」は公共の場に相応しくない悪い表現だ。なんて、嫌われる覚悟がなければ言えないですよね。

でも、頭の痛いことにあの文の中では「オタク気持ち悪い」は人を傷つける悪い表現・許されない表現でなければいけないのもまた事実なんですよ。というのも、あの発言は表現の自由を支えにしてポスターを肯定する人間の切り崩し、あるいは揶揄することを狙った発言なので表現の自由に全ツッパしてしまったばかりに受けなくていい誹謗中傷を受けるオタクたち」でなければ文章として完成しません。だって、ここでオタクへの悪感情の暴露を良い表現・許される表現ということにしてしまうと、オタクたちは自分の好きな絵は排除された一方、自分らが罵られることは否定されず、ただただ殴られ続ける存在になってしまう。

これを良しとするような奴は、ドがつくほどの畜生と言わざるを得ない。

「もう、なかったことにするしかない」っていう気持ちになるのもわからんでもない。ただね、今このブログ書いてるのは粘着質で気持ち悪いオタクなので、なかったことにはしてあげられないんですよ。まあ、閲覧数も殆どないクソブログで何を言われても痛くも痒くもないでしょう。

その名の通り、元気に頑張ってほしいと思います。