虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

続・今、僕たちの目には何が映っているのか

虚木零児です。

なんでも、教師が同僚の教師をいじめていたというじゃないですか。しかも、羽交い締めにして言葉にするのも憚られるような行いを敢行しているというのですから、酷い話があったものです。人間性を疑いますし、脳みそが腐ってるんじゃねえかと思います。

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やっぱり、このご時世に好き好んで教師になるようなヤツなんてロクなもんじゃねえっていう気持ちが強くなる一方であります。

でも、これは教師にならない人間の視点から今回の事件を見た感想なのであって、教育に携わる人達からしてみれば、また見えるものが違うのだろうとも思うわけです。教師の不祥事は跡を絶たないにも関わらず、我々自身が学校教育にある程度の信頼を寄せている訳ですから、前回言った通り「概ね上手くいっている」んだとは思うんですよ。問題の学校にしても、他人の目にカレーを入れるような人と呼ぶのも躊躇われるような畜生が集団の中にいても、教育機関としてある程度機能できるだけの仕組みは備えているのでしょう。機能させている側の人間にしてみれば、一部の気狂いの凶行を全体の問題とされるのは辟易することでしょう。

Amazonの話に戻って恐縮ですが、一日に百万件も発送作業を進めていれば、1つや2つミスがあったところで、全体から見れば大した割合ではありません。たかだかパーセンテージでも0.0001%でしかありません。大騒ぎするほどのことなのでしょうか。

それがまあ、大騒ぎするほどのことなんですよ。その0.0001%を引いてしまった人間にしてみれば。

極端な話、なけなしの金を使って食料を購入したはずが、覚えのないコミックスが届けられたりしたらどうなると思いますか。もしかすると餓死してしまうかも知れない訳ですよ。それを他の99万9999件は上手く配送されているからヨシとできますか。

Amazon然り、教師の質の問題然り。大きな俯瞰した視点から見て、概ね上手くいっているのは大変素晴らしいことではあるんですが、やっぱり究極的には一切の事件がない方がより良い訳です。個々別々の事象にこだわりすぎて大きく歯車が狂うのも問題ですが、何人かすり潰されても気にしないというのもちょっとどうなのと思います。

大多数の教師が善良な人間であるからといって、今回の事件を起こすようなドクズが教師を続けることを正当化はしませんし、ごくごく限られた人間の起こした不祥事だからと事態を矮小化するべきではないでしょう。一人の人間の尊厳を著しく傷つけ、身体にも傷を残す行いが成されていたことは重く見るべき事態ですし、その舞台が若者たちを教え導く教育者の集う学校であったというのは嘆かれても仕方ありません。ホンネはどうあれ、タテマエとして教師は人格者であり、生徒たちの先達として手本となるべき人間であるはずで、なのに一人の人間をよってたかっていじめていたというのだから、救いようのない事態ではあります。一族郎党まとめて死ねばいいのに。

冤罪事件だって似たような話ではあり、大体の事件は逮捕した人間が罪を認めて粛々と裁判にかけられて、刑を執行されている訳で、概ね上手くいっているんですが、時として無辜の人間が罪に問われて刑罰を受けることもあるわけです。冤罪の比率なんて1%も満たないんだと言ってた所で、いわれのない罪によって苦しめられた人間にとってはなんの慰めにもなりませんし、その人の人生を狂わせてしまったことは言語道断であることに変わりはありません。

自分の立場や都合でマクロの視点とミクロの視点を使い分け、他人を踏みにじるようなことは言ってはならないな。と心持ちを新たにするばかりです。

 

ところで話は変わりますが、「女性が偉くなれば争いはなくなる」みたいな主張をしていた人は女ボスザルがこんな凄惨な事件を起こしたことをどう捉えているんだろうかと疑問に思います。

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彼ら、彼女らはどういう立場に立ち、その目にはどんな景色が映っていたか、不思議な気持ちでいっぱいです。もしかして、権力を握れなかったが故に問題を起こせなかっただけの事を、権力を笠に着て他者を害しない精神性と評価してるんでしょうか。学級会を開いて他者を糾弾することに必死になっている我々みたいな人間が気高さを誇るのは勘違いも甚だしいと思うんですけど、その辺りどうなんでしょう。

マジな話。