虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

二度目の宇崎ちゃんコラボを受けて

虚木零児です。恥の多い人生を送ってきました。

2020/2/1から関東で赤十字コラボキャンペーンで宇崎ちゃんが再登場しました。今回はカラー漫画になったとのことです。ありがとうございます。

ところで僕は前回、事情を知りもせずに「適当に力を入れていない印象」などと適当なことをぶっこきました。実際は、作者の丈氏の病気などが原因だったわけですが、訂正もせずに生きてきました。恥じ入るばかりであります。この場を持ってお詫びし、訂正いたします。誠に申し訳ございませんでした。

何が面白いって前回同様、宇崎ちゃんの胸はでかいし、先輩を初めての献血と決めつけていじるし、怖いんか? って煽ってるしで、宇崎ちゃんは相変わらずウザいなっていう話なんですが、前回と違い好評です。前回の問題点が解決されています! とか謎の評価をつけてる人もいて、相当面白いですね。ナチュラルに上から目線。

セリフの微細に差はあれど意味合いとしては「献血未経験の先輩を煽る」「針に対する痛み、あるいは恐怖心を煽る」っていう行動に変化はありません。絵柄にしても大きな一枚絵だったものが、漫画になっただけであり、結局、ジャージだかパーカーだかがボディラインにそってぴっちりしていることには代わりありません。まあ、女性向けのパーカー、ジャージは胸の膨らみを計算に入れられていて、ああいう格好は不自然でもないのでしょう。特に突っ込まれないということは。

別に一人相撲で納得している分には結構ですし、勝利の余韻に浸っているのもご自由にどうぞという感じではあります。幸せそうで何よりです。

最初から宇崎ちゃんは献血をしたことがあって対する先輩は未経験で、バイト中にそのことを知った宇崎ちゃんは「注射が怖いからしたことないんですか?」ぐらいに煽っていたワンシーンぐらいにしか思っていなかったので前回の時点から特に問題視していなかったのですが、今回はそれを受けてか受けずか宇崎ちゃんが付添で献血にきて受付から採血までの短い時間にも先輩を煽るという相変わらずですねという感じしかありません。

一応、言い訳しておくと第一回広告→原作→第二回広告の順に見てますので、第二回広告に対して態度が柔らかい部分はあります。原作を読んでなければ、なんで献血してないってだけでここまで煽ってくるんだコイツはと思っていたかもしれない。

それでも、原作を知らなくても未経験(意味深)とか注射(意味深)が怖い(意味深)みたいな読み間違いは起こしませんでした。純粋に献血したことないって、もしかして注射――厳密に採血の針を注射と呼ぶのかは知りませんが――が怖いんですか? っていうからかい、嘲りぐらいにしか感じていませんでした。逆にこのやり取りから性的なニュアンスを読み取るなんて、官能小説の読みすぎじゃないですかね。何でも意味深に取ってしまうというのはオタク的には反省すべき悪癖だった時代があったと思うんですが――男性同士の他愛ないやり取りをカップリングにしてしまうのを自虐的に書いていたように――開き直る人種もいるんだなと隔世の感があります。

なんにせよ、こういう漫画形式で前後の文脈が見えないとただただ他愛ない献血にまつわるじゃれ合いを「女性が性的に誘っているのでは?」と感じる層がいるというのは収穫でした。まあ、宇崎ちゃんの胸の大きさが問題になっていたから「胸の大きな女性が性を想起させるワードを投げかけている」と感じていたのかも知れません。

ただまあ、胸が大きいだけで性的に見られるという現状を打破したいような話をしながら、胸が大きな女性が広告に出れば「性的だ!」って大騒ぎするのは矛盾以外の何物でもないですよね。ただ胸の大きな女性が転職サイトの広告に掲載されているだけの話でしかないのに、突然性のニュアンスを持ち出したのは誰かという話で、胸が大きい女性を性的に見ているのは誰かといえば「変態ワードを投げつけるアカウント」と「なんて性的な広告なんだだと大騒ぎするアカウント」であり、その性的に広告を見ながらも性的に見ることを問題視している一方が、性的に広告を見ていて問題視していない一群に対してではなく、性的に広告を見ている人ばかりでもない社会に対して偉そうな口を叩くので、性的に見ていない人たちから冷ややかな目で見ているというのが実情に近いのではないかと思います。

宇崎ちゃん体型に近い人がいたとして、それを不躾に性的に見てくる人間がいるとすればそれは問題ですし、善悪をつけるであれば性的に見てくる人間に悪をつけるべきであって、宇崎ちゃんに近い体型を持って生まれたその人に非はありません。そういう視点でものを見たとき、胸が大きく生まれた女性が広告塔として採用されたこと自体を問題視するのが果たして正しいムーブメントなのかということには疑問を抱かざるを得ません。胸の大きな女性を使う必然性がない、必要性がないという主張も見聞きしますが、今現在、胸の大きな女性が性的な視線に晒される問題がある(と主張される)中、胸の大きな女性が必要とされる場所、必然とされるシチュエーションが性的でない可能性がどの程度あるのかという疑問もわきます。同時に、必然性・必要性のない巨乳ビジュアルの採用を許さないとした場合、その性的なニュアンスを多分に含む場所にしか胸の大きな女性の居場所がないことに繋がりやしないかと危惧します。

とは言うものの、世の中の多くの人間はこんな瑣末事には神経をすり減らさず、概ねうまく行っているのであり、みなさんが気を使わずに元気に生きていけるのであればそれに越したことはないと思ったりします。