虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

空気の読めないおっさんに居場所をくれ

虚木零児です。

生まれてこの方、察しの悪い人間でした。きっと、これからもそうでしょう。

しかし、世の中は広いもので、僕よりも察しの悪い人間は5万といます。一息に作業の要点を理解できない程度ではなく、説明を尽くしても一向に理解しないと感じる人を何人も見てきました。それでも、できる限りの努力はして、少しでもわかるように、すこしでもわかるようにと努力をしてきた結果が今ここです。

それを踏まえた上でね。これを読んでほしい。

hbol.jp

ふざけんじゃねえよ。マジで。

まあ、もしかしたら詳しくない人もいるかも知れないので念の為、書いておくんですけど、この宇崎ちゃんのポスターの絵ってまんま3巻の表紙なんですよ。オタク的には別段目新しい絵ではなくって、ちょっと前から嫌というほど見た絵です。

www.kadokawa.co.jp

この手のキャンペーンってモノによるんですけど、キャンペーンだけの描き下ろしとかもまま見るんですよね。そんな中、既存絵の使い回しっていうことで、そこまで気合の入っていない印象があります。

気合がどの程度であったにせよ、キャンペーンなんだから、ある程度のキャッチーさを持たせる必要はあります。端的に言えば、グッズがほしさにファンが来てくれないと意味がないのだから、ファンが欲しくなるようなアイテムが良い。さりとて新規絵が用意できないってなった時、集客的に考えれば現時点で最新刊(今年の7月発売)の表紙をチョイスするのは無難な発想だと思うんですよね。あんまり詳しくはないですが、表紙の絵であればデータ的にもある程度の流用を念頭に入れてあってもおかしくはない。それこそ、自分のとこの漫画に挟む広告紙とかにも絵を差し込んだりする可能性がありますから。だから、使い勝手のいい表紙絵がこういうキャンペーングッズとか、ポスターに抜擢されるのも無理ない話じゃないかと。

何が言いたいかって、もっと他に穏当なシーンがあったのに、わざわざ過激な場所を持ってきた訳ではないと思うんですよね。ただ単純に、現場的な合理性に基づいて選択された結果だと思います。

まあ、だからお前らも認めろって話ではありませんけど。性的で不愉快で、絵柄として不適切だって言うんならそうなんでしょうよ。けど、さも他にも沢山の選択肢があったかのように語るのどうなんだっていう話です。「ちゃんと配慮して、漫画の1シーンを抜き出して、データ調整して着色してもらえ」とか「描き下ろしてもらえ」って言いたいのなら、素直にそう言ってほしい。

で、次の問題なんですけど、やたら「明らかだろ」とか「そんなに難しいことだろうか?」とか基準を自明であるかのように表現して詳説を避けていくんですけど、じゃあ、なんでその異常さの説明が必要ないほど明らかな絵が書籍の表紙として三ヶ月間も放置され続けてきたんですかね?

人間社会においてある程度の断絶が発生するのは事実としてあって、例えば、僕はブランド品とかファッションとかそういうものには一切の理解がない。TORY BURCHって言われてもピンと来なければ、Right-onの存在を知りませんでした。

だから、宇崎ちゃんのあの絵に始めて出会ったのが、献血ルームのポスターでしたという人がいることは否定しません。オタク文化に繋がりがなくて、書店でも漫画のコーナーには絶対に行かず、Amazonでも関連商品に上がることがないような人にはそういうことも起こりうるでしょう。

だから、フェミニストたちは今まで見逃してきたじゃないか、とは言いません。今までは目についていなかったのかも知れないし、もしくは目にしていたけれども、目くじらを立てるほどのことではないと判断していたのかも知れません。今回、献血ルームのポスターで目にして問題だと思ったことも起こりうるでしょう。

ただ、逆に言えばオタク――厳密に言えば、萌えオタクにはそれなりの確率でこの画像をぶつけられている可能性があります*1し、それで今まで白眼視されてこなかったということに無頓着すぎると思うんですよ。そこそこの市場を形作っているオタクたちは問題を理解していないのに、啓蒙の必要がないほど明白であるってどういう理論なのか。

個人的に啓蒙されたいとは思っていないので、別にしてこないこと自体はどうでもいいんですが、敵対者を特に根拠も示さずに悪魔化して、滅しようとするのは魔女狩り以上の悪徳なんで単純にやめていただきたいんですよね。せめて、水に沈めてみて浮かんでくるかどうか確認するぐらいはしたらどうなんですか。

なんとなくフィーリングでわかるだろ? ってして、ちょっとでもノリが合わない奴がいたら袋叩きにするのが健全なのかは疑問しかありません。明文化していない規則に則った行動を強制するのってそんなに褒められたことですかね。空気読むのを強いるのと何が違うんですか。

あと、公共の表象が炎上してしまうの理由で挙げられた人工知能学会、のうりん、碧志摩メグ、駅乃みちかキズナアイってどれも太田啓子絡んでないですか。その辺りは大丈夫なんですかね。

別にどれもこれも問題があって、その先陣を切るのがヤツだ。っていう話だとは思うんで、それはそれでいいんですよ。ただ、図ったようにそうなってるのは、もうちょっと体制を見直したほうがいいと思いますね。多くの人が問題に思っているけど、あの人が言い出してくれないと動けないってマズい状態だと思いますよ*2。構造的に。

だからこそ、このポスターにはどういう問題があって、これこれこういう理由からダメなんだよっていうことを辛抱強くアピールしていかなければいけない。理解者を広めるにはそれしかなくて、社会の潮流を変えるには理解者を広めるしかない。特定個人のパワーに依存している様では、特定個人のパワーが届かない範囲には全くの無力にならざるを得ないし、現状がそのとおりじゃないですか。

まあ、あんまりパワーがないのは事実としてあるんですけども。

たとえば、公共性の高い場所であることを問題にすると、“巨乳「である」表現と巨乳「を描く」表現の双方を”排除せよというのか、と言う。女性の客体化を問題にすると、当該ポスターの絵を”あらゆる場所で”禁止せよというのか、と言う。

なんで、「公共性の高い場所で女性を客体化するな」って言わなかったのか不思議で仕方がないですね。いやまあ、そうしたら、公共性の高さってどう定義するのか、とか、女性の客体化について具体的に述べろってなりそうな気もしますが、そこは徹底的に詰めていくしかないんですよ。議論するのであれば。「胸の大きな女性が自分の意思で扇情的なポーズを取ることは許されるが、画家が扇情的な女性を描くことは禁じたい」のであれば、そう読み取れるような条文を作らないといけません。それに失敗しているから「胸が大きいだけが問題なのか」とか「いかなる場所でも許されないのか」って突っ込まれるのでしょう。突っ込まれること自体を不毛だと言ってしまうのであれば、コミュニケーション自体が不毛と言うに等しいと思いますが。

であれば、こんなエントリを作成すること自体が無駄だっていう話になるんですが、少なくとも僕の目から見れば無駄ではないのでこうして片隅に残しておきます。

*1:正直、僕は宇崎ちゃんのニヤケ面を見ないで済む方法を模索していた時期がある

*2:それを「炎上せずに済んでいる」って表現しちゃってますが