虚木零児です。
スマホ買い替えました。4年ぐらい古いスマホを使い続けていたので、充電端子がminiBだったんですが、今回とうとうType-C端子の端末になりました。そしたら店員に「ACアダプタが付属していないのでコネクタを買われたほうが……」って言われたので(あれ、アダプタ付属って書いてあったのに……)って思いながら、「コネクタ買うぐらいならアダプタ買います」って言いました。家に帰って箱を開けたらACアダプタが出てきました。だからどうという訳ではありません。
実際の胸の大きな人と、乳袋を一緒にしないで欲しい。乳袋には絶対にエロ妄想が混じっているが、人の胸の大きさには意味はない。だから言ってんじゃん。実際の身体的特徴に勝手な意味を付けるな。むしろ胸の大きな人が「私ってこんなふうに見えてるの?」って心配になるんだよ。 https://t.co/cEyeHHL8Jt
— はとや@小田原評定 (@k7nvpIFvtccLxU6) October 21, 2019
ええ、だからどうという訳ではありません。
すごい、基本的な話なんですが、自分に特徴が似ている(様に思える)キャラクタと自分は全く違う存在です。ですので、自分に特徴が似ている(様に思える)キャラクタが皆から愛されていたとしても、自分が同じように皆から愛されるとは限りません。逆もまた然りで、自分に特徴が似ている(様に思える)キャラクタが悪し様に罵られていたとしても、自分も同様に蔑まれているとは限りません。正直、宇崎ちゃんをみて「私って?」ってなる前に、鏡を見るなり、友達の顔色を伺うなりしたほうがまだ有意義だと思います。
ちなみに、宇崎ちゃんはかなりウザいです。あなたはどうですか。
乳袋に絶対にエロ妄想が混じっている。っていうのもよくわかりません。現代の女性のプロポーションにおいて、胸を大きく見せることと、腰のクビレをきれいに見せることの2点が評価に関与しているのは確定的に明らかです。それにどれほどの意味があるのかはわかりませんし、何の為なのかは理解していませんが、潮流としてそういうものがあるということは理解しています。
翻って乳袋に視線を戻すと、これは胸の大きさを保ちつつも、通常の服飾であれば隠れてしまいがちな腰のくびれも表現できる欲張りな表現技法と言えるでしょう。イラストレーションというのは基本的に嘘の世界ですので、現実に起こり得ないことであっても絵画の中ではそれなりの現実味を持たせられます。それこそ、エッシャーの滝みたいなものですね。実際に造形としては生み出せず、そこはかとない違和を持ちつつも、それなりの説得力を持っています。
正直な所、胸の大きな女性にとって胸に合わせて服を選べばゴツく見え、身体に合わせて服を選ぶとパツパツになるという問題があり、それの解決のためにブランドが立ち上がるほどである。という事実を踏まえれば、女性キャラクターを美しく見せるための手法として、乳袋が作られることは必ずしもエロ妄想だけが原因でもないと思うのです。念の為言っておきますが、オーバーイーが乳袋を作っていると言いたい訳ではありませんのであしからず。
そして、最後に実際の身体的特徴に意味を見出しているのは表現ではなく、それを見ている我々だと思うんですね。単行本で読んだ限り、宇崎ちゃんの胸が大きくなくてはならない理由があるとは思えなかったし、特に深い意味があるとも思いませんでした。別に小さくてもよかったんじゃないかとは思いますが、では逆に必然性がない限り胸を大きくしてはいけないと言われると肯定できません。冒頭のTweetにもある通り、女性の胸の大きさには意味なんてないのなら、意味なく胸の大きい女性が物語に登場してもおかしなことはないはずです。
まあ、僕だって宇崎ちゃんの胸が大きいのは何らかの意味があるだろうとは思います。それは単純に性的な魅力を増大させたい思惑からかも知れないし、あのウザったらしい人格形成に纏わる過去エピソードから逆算されて形作られたのかも知れない。あるいはただただ作者の手癖なだけとか、大きめに書いておけば、そっちに視線が惹きつけられて多少の粗は誤魔化せるとかの打算的な理由でも不思議には思いません。ただのスケベ心だろと言われてもピンとは来ない。正直、あんまりスケベじゃない。
確かに現在の宇崎ちゃんの胸はすごく目を引くし、宇崎ちゃんを今の宇崎ちゃんたらしめている一要素ではあるかも知れない。けれども、お話の内容を見る限りは書かせざる要素とまでは思えず、別に宇崎ちゃんが身長が高くてで小ぶりな胸でも、十二分にウザったらしくて愛くるしいあのキャラクタとしては存在しうると思うんですよ。いやまあ、実際、今の宇崎ちゃんが形成されるのに、あの胸が一翼を担っている可能性がある以上、何があろうと宇崎ちゃんは宇崎ちゃんとまでは言わないですが。
なんというか、人間にあるべき姿ってないと思うんですよ。宇崎ちゃんぐらい胸の大きな女性はダボダボの服を着て、そのシルエットを鏡に写すたびに憂鬱な気持ちにならければいけないかと言えば、特にそんなことはないんじゃないですか? 別に胸を張って溌剌に生きてもいいし、くびれた腰で見返りながら献血したことない先輩を小馬鹿にしたような顔で笑ってもいいでしょう。
「おとなしく立っているならともかく」って言ってる人がいましたが、おとなしく立っていれば何だっていう話です。認められるってことですか? それは、今みたいにボディランゲージまで駆使して、大仰に相手をからかう宇崎ちゃんは認められないって理解になりますがそれでいいんですか。なんでその発言に対して、胸の大きな女性が「みんなおとなしくしてろよって思ってるの?」と恐れを抱いたら、どうやって責任を取るつもりなんですかね。取らないんでしょうか。
確かに胸の大きな女性は男性の目を引き、その視線には性的な欲求が含まれているかも知れない。その視線を嫌って自分を隠すのも自由だし、気にせずに堂々とするのもまた同じ位自由だと思います。双方の生き方がどちらも何ら否定されることのない社会になったほうがまだマシなんじゃないでしょうかね。
決定できるだけの意思があれば――ですが。。。