虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

スペックと関係性と地雷

虚木零児です。

以前、女性オタクの方が妄想? をTwitter上で開陳しているのを見ていた事があるんですよ。こう、今まで聞いてきた男性オタクの妄想とは随分やり方が違うなー。と思うと同時に、なるほど、そういう視点もあるのか。と感心したのを覚えてます。

登場人物を羅列しながら、それぞれの関係を書いてたんですね。言ってしまえば、相関図を文章で作っていたのに近い。結構、衝撃的でした。

僕が小説家に憧れてた時に読んだ、ハウツー本にはキャラクターの造形を詰める時はキャラクタシートを作るように書いてあったんですよ。このキャラクターはどういう過去を持っていて、どういう思想を持っていて、どういう能力を持っているのか書き起こす。

でも、そういうスペックではなく、キャラクター間の関係性についてをわざわざ表に出して、それについて吟味する文化があるという。

けど、ふと思い返してみると、別に今まで触れたことのない文化という訳でもなかったなとは思いました。意識してこなかっただけで、そういう楽しみ方自体はしてきていたんじゃないか。そう、人はスペックを見るときと、関係性を見る時の両方が入り混じっているんじゃないか。今回はそういう話です。

スペックフェチ

男性的に馴染みが深いのってこっちなんじゃないかなとは思うんですよね。その人やキャラクターのスペックで見て萌える、的な。よく槍玉に挙がる巨乳好きもそうですし、髪型に拘りがあったり、装身具に好みがあったり、はたまた種族なんていうのはいわゆるスペックに対するフェティシズムなんじゃないかと。ちなみに、僕は眼鏡とウェーブの掛かった髪の毛が好きです。

まあ、別に男性だけの特性だと思っている訳でもなくて、分厚い胸筋が良いとか、たくましい二の腕が好きとか、筋張った手がたまらんとかは聞きますね。ジャニーズ系ってまとめられるぐらい、顔や服装の系統が似通っている部分があるし、話題に上らないだけで暗黙的にそういうフェティシズムが浸透している可能性もあるんじゃないか。あるいは、フェミニズムの言うことを信じるならば、そういうパーツに腑分けして評することを客体化として忌避していて、あんまり考えないようにしているのかも知れない。どうこう言えるほど女性オタクの文化に詳しい訳ではないんで、正直わかりませんね。

さて、肉体的なスペックの話の次はもちろん精神的なスペック、つまりは性格です。ツンデレとかヤンデレとか、人見知りとか引っ込み思案とか、そういうアレです。ここまで来ると次に書こうとしている関係性フェチと重なる部分も出てくるんですけど、人間の根っこにある変えがたい部分、という意味ではスペックなのかな。と。そう思う訳です。

例えば、男の人が怖い。苦手というキャラクターが出てくることはままあって、それなりに人気の作品にもいらっしゃる。他にもすぐに卑猥なことにつなげてしまうとか、逆に恋愛事にはさっぱり理解がないとか。

しかし、これがなかなか難しいところではあるんですよね。誰か特定の相手に対しての特性、例えば好きな人からのアプローチだけは頑なに理解しないとかだと、関係性フェチなのかな、と思いますし、「男が苦手なのに、自分だけには心を開いてくれるのって憧れるじゃん!?」とか熱弁されると、やっぱり純粋にスペックに憧れているとは言い難いのかも知れないと考えたりします。

関係性フェチ

読んで字の如く、関係性に対するフェティシズムです。以上。……言ってしまえばカップリングとかそういう観点ですよね。ヒロイン単体で可愛いするのではなく、主人公とヒロインの関係性で可愛いするとかそういうイメージです。

考えてみれば人間ってスペックからできる訳ではないじゃないですか。優しいっていうコアがあって優しくするのではなく、他人に対して献身や温情をかける姿を見て、(あ、この人はなんて優しいんだろう)って評価になり、そのままその人のスペックとして定着する。だから、関係性に対するフェチと精神スペックに対するフェチって距離がそこまで遠くないんじゃないかとは思います。

今でこそ下火になりましたがかつて一世を風靡するしたツンデレだって、誰に対しても素直に言葉を出せないタイプと、特定人物に対してだけ素直に気持ちを出せないタイプに分けることができたじゃないですか。なんで、この娘は僕に対してだけ当たりが強いのかと不思議に思っていたら、実は僕のことが好きで気持ちをさとられないように強がっていました。とか、そういう物語、存在したと思うんですね。全然、思い出せないんですけど。

後は以前話に出した、魔女と従者とかもそうですよね。悠久の時を生きる超越者とただの人間の関係性を模索するという意味では。僕が見かけたのは魔女を気遣う従者が主流でしたけど、あれって本来なら「社会からの隔絶を強いた魔女」っていう悪として断罪される所を、虐げられた従者が許すから関係性として面白いんだと思います。そういう意味では物心ついてない赤子を攫ってきて、魔女の価値観で養育して、素直な従者萌えするのは完全に支配欲の現れでしたよね。僕個人としては嫌いではなかったですが、受け入れられない人がいるのも無理はないと思いました。超越的な存在が人界の倫理に従う必要があるのか、っていう根本的な疑問がある一方、その超越者に人生を翻弄され、超越者の望むように歪められた従者に対して同情しないとは言いません。

フェティシズムが地雷になるとき

だから、望ましい関係性と望ましくない関係性って人によって違うんですよ。後輩くんのアプローチを受け流してしまう先輩がいたとして、その進展のなさにヤキモキして好き! ってなる人もいれば、どうして先輩は後輩のことを真剣に受け止めてあげないの? 嫌い! ってなる人もいる。そういうものだと思います。

逆もまた然りで、後輩のアプローチを真摯に受け止めてイチャラブする先輩の同人誌を読んで、こんなの先輩じゃない! ってなるのもいいですし、後輩くんがモブ先輩と仲良くなっちゃって、先輩が嫉妬心から強引にイチャラブに持ち込む同人誌を読んで、こういうのもいいね! ってなるのも別に不自然なことではないと思うんですね。「今や過去にどんな関係があっても気にしない。最後に私のところに帰ってきてくれるなら」ってセリフが、相手を心から愛しているのね! 素敵! ってなるか、相手の言いなりになってるだけ! 最悪! ってなるかはその人次第だと思います。

育ってきた環境・文化、学んできた歴史、積んできた経験。人それぞれ違うものが積み上げられて現在の人格が形成されている訳ですから、同じものを見たとしても、感じ取り方が違うのは当然な訳です。年の離れた異性に結婚を申し込み、子供の戯言だと思って真剣に相手にしてもらえなかった経験を持つ人と、しっかりと拒絶されて強いショックを受けた人とで意見が逆になってもおかしくはないと思います。真剣に相手にしてもらえなかったことを憎悪するかも知れないし、こんなショックを受けるぐらいなら、まともに相手にせずに心変わりを待つのが正解だったと感じるかも知れない。そんなもん、どうあるべきなんて言えるはずもなく、だからこそ人間関係は難しく、日々、人々が苦悩しているんじゃないですか。