虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

性的な魅力と表現の技法と凶器的な包丁

虚木零児です。

未だに燃焼を続けているポスター問題ですが、理由や燃料はどうあれ人間が活動的なのはいいことなんじゃないかと思います。僕も未だに納得できていません。

いろんな絵柄がでてきますが、この中だと目つきが鋭くてニットを着た女性が一番性的じゃありませんか?

個人的にはその萌え絵でオナニーできるなら、少女漫画風味だろうが女児向けアニメだろうがオナニーできるだろっていうぐらいの差しかない。一般大衆向け(無難)な絵にしても同じで、auの説明書に出てくる女の子が萌えるって一時期盛り上がったし、ユーザー側で仮名をつけるぐらいのムーブメントがありましたからね。

dic.pixiv.net

そして、まあ当然ではありますが、エロなファンアートも存在しています。スタートの絵図がどうあれ、エロを想起する人はいて、それを表掲する人がいます。もちろん、胸が大きくなったり、お尻が大きくなったりという改変があり、広い意味では萌え絵に含まれるんだ。という主張になるんでしょうけど、塗りといった技法の部分は無難な絵を踏襲しており、必ずしも例示されたような萌え絵には収まりません。それだけ、表現の境目は曖昧でなだらかに萌え絵へと接続されうるということはオタクを自称するなら知っておいても損はないと思います。

少女漫画風味だろうが、女児向けアニメ絵だろうが、女性を女性として描いている以上、性的に受け取ることはそう難しいことではありません。単体のグラフィックスとしてならともかく、キャラクターとして描かれれば内面的な要素が加わって尚の事かんたんになります。絵の作者的には胸の大きさに拘りがある様ですが、あんなもん大きければいいというものでもないですからね。貧乳はステータスだ。ってアニメで大々的に宣言されたのも随分昔の話になりました。

まあ、そこからエロファンアートに変遷した時、胸が大きくなっていたり、お尻が大きくなっていたりという傾向があり、やはり女性的な特徴が強調されているから、萌え絵はダメなんだという話であればわからなくはない。原作のエッセンスは残ってはいるけども、ここまで女性の身体性を強調してしまうと最早別物だろというファンアートはいくつも見てきました。それ、別にプリキュアである必要ないだろっていう。

けど、エロファンアートでよく見られる技法だから、それらすべてがエロの為の記号なんだ。という論法には疑念があります。駅乃みちかの時にも思いましたが、女性が女性らしさを強調するポーズというのは現実とグラフィックスでも共通する部分があり、脇腹から腰~太腿に向けての曲線を見せたりします。モデルが自発的にやっていることとイラストレータが描くことは違うのだと強弁するのは結構なんですが、イラストレータが現実のモデルを参考にして描いたキャラクタが「性的だ」となった時、その余波はどこまで届かせるつもりなのか疑問で仕方がありません。

「いかな女性と言えど、モデルという職業について人に見られる立場の人間が女性らしい曲線を強調するのは言語道断だ」という論旨であれば、イラストレータも当然、女性らしい身体を描写するのはNGというのは理解できます。ところが実際だと「下着モデルはセーフ」とか言い出すじゃないですか(世界的に見るとNGの場合もあります。例:https://www.cosmopolitan.com/jp/entertainment/celebrity/news/a2751/bras-n-things-lingerie-ad-banned-model-complains-instagram/)。であるなら、「いや、女性が女性らしい曲線を披露するのはいいのだ。イラストレータが描くのはダメなのだ」となる訳で、なぜイラストが駄目なのかという話になります。

入ってきた光波を焼き付けて絵図とする写真と、イラストレータが視覚情報を技法を使ってアウトプットするイラストとでは意思の介在度に差がある*1のは事実としてありますので、その意志の介在に問題があるのだろうと推測はできます。今回に関して言えば性的消費云々ということですので、議論のフォーカスがイラストレータが性的消費の意思があったか、否かに移っていくのは当然のことではないでしょうか。どうやって証明するつもりなのか知りませんが。

イラストレータに性的消費の意識があろうが、なかろうが、実態として性的消費の対象になっているのだ。で済ませるならば、少女漫画だろうが女児向けアニメだろうが性的消費の対象になっているのだが? という話にシフトしていきます。その対象を見たときの反応が一意に定まるということはありえません*2。であれば、どの程度の人間が性的に見る表現なら許容できるのかという話になるでしょう。

ところが、その辺りの議論が一切許されないまま「明白だ」とか「当たり前のことが理解できないほどに麻痺している」とか言った暴論で流そうとする。この辺りをケアしないから「自分が気に入らない表現に社会的に悪とされるエロスのタグを付けて排除しようとしている」という批判に終始されるのです。

性的なニュアンスが一切含まれていないと主張する絵が性的な興奮を励起しないというのも(全くの妄想では?)という思いが拭えませんし、性的な興奮を励起しやすいとされる絵が描かれた対象が性的に消費されることを肯定しているとする話にも同意できません。今まで包丁が凶器として使われた場面を創作・再現映像などで見てきましたが、僕の中での認識は未だに調理器具であって武器ではありません。同様に、女性が性的な魅力を表出しているからといって、女性が性的に消費されていい存在であるとはなりません。本気でそう思っているのなら、恋に落ちた相手はヤクザの若頭で……? みたいなコミックが出版禁止になると思うんですよね。だって、反社会的勢力だよ?

表現から何を見出すかは多種多様でした。SNSなどの伝達手段が簡易化したことにより、その多様さも白日の下に晒されつつあります。スターフォックスのクリスタルとデジタルモンスターのレナモンのどちらがエロいか*3みたいな話からも分かる通り、性的興奮を覚える記号についても抽象化は困難になりつつあります。

我々が思っている上に人間は多様であり、価値観は入り乱れていて、その全てを尊重しようと思うのであれば、寛容さを持つ以外にはないと思うのですが、皆様はどうお考えなのでしょうか。

 

あと、最後になりましたけど、あの漫画はどうして引用の形ではなく、ローカル保存した画像を貼り付ける形で出てきたんでしょう。いいの? それ。

*1:イラストなら美化も醜くもできる

*2:事実として萌え絵は侃々諤々の議論になっています

*3:甲乙つけ難いですが、個人的にはレナモン派です