虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

言葉は時として人を死に至らしめるということ

虚木零児です。

このハゲ~! で一世を風靡した豊田真由子さんの独占告白記事が公開されていました。

fujinkoron.jp

懐かしい気持ちもありながら読んだのですが、知らぬ人だらけの選挙戦を戦い抜き、がむしゃらに貢献することを考えた議員時代を経て、例の騒動の後は死ぬことを考えながらも子供のことを思い生きることを選んだりといった半生が語られております。やはり、一人の人間が懸命に生きた道のりというものは尊いもので、人と人との繋がりであったり、親と子の絆であったりというものは素晴らしいものだなぁと思います。

まあ、それを踏まえた上で、あのときのことを振り返りたいんですよ。

とりあえず、Wikipediaでも見てみましょうか。

ja.wikipedia.org

週刊新潮にすっぱ抜かれた部分は「秘書への暴行」という項目にまとまっている訳ですが、まあ、見るに堪えないものがあります。

6月29日発売の『週刊新潮』の報道によると、同誌が公表した音声には、「このハゲー!」「ちーがーうーだろーっ!、ちがうだろっ!」「鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!」「うん、死ねば?生きてる価値ないだろ、もうお前とか」といった元秘書への豊田の暴言、元秘書の娘が強姦通り魔に遭って殺されるというたとえ話が含まれていた。

改めてみるとロクなこと言ってませんね。当時から既にやばい奴感は出ていた訳ですが、今回の独占告白でなまじ社会性を持ち合わせていることを吐露してしまったが故に、より一層異常さが浮き彫りになった感じがします。

例えば、子どもたちに「母親に捨てられた」感覚を抱かせてはいけないという一心で生きる道を選ぶ程度には親子の情は理解されている訳です。確かに、お母さんは僕たち・私達のことなんてどうでもよかったんだと思ってしまうかも知れない。かわいい我が子にそんな思いはさせたくない。なるほど、そういうものか。

それを踏まえた上で娘を持つ親に向かって「娘が強姦通り魔に遭って殺される」喩え話をできるって相当ですよね。人の心をどこに置いてきたんだって感じがします。他人に向かって「生きている価値がない奴は死ね」って吐いた口で、友人が背中を押してくれた、ある支援者の方が教えてくれた、人と人との繋がりを語る空々しさよ。ご友人に恵まれてはるから、死ぬに死ねまへんなぁ?

冗談抜きでマジモンだなって感じしますね。人にとって大事なもの、大事なことを理解した上で、相手を傷つけるためには躊躇いなくそれらを踏みにじる。この剥き出しの敵意・害意を「失言」なんて、生ぬるい表現で済ませるべきではないと思います。殺すための手段として選んではいないまでも、これが原因でコイツが死んでも構わないぐらいは思ってたことは確実でしょう。

テレビ番組での振る舞いに端を発し、アンチ的な人間から粘着質な誹謗中傷を浴びせられた出演者が自らの命を断ったのは記憶に新しい訳です。それにも関わらず「頭を砕いてやろうか」だの「死ねば?」だの「生きてる価値ないだろ」だのの暴言を面と向かって浴びせた人間がノコノコ出てきて「死のうとも思ったけど、こんな私にも支えてくれる人がいて、その人達のために頑張ろうと思います」ですからね。一歩間違えば人一人死んでいたかも知れないのに。

他人に対しては「うん、死ねば?生きてる価値ないだろ、もうお前とか」と言い放ちつつ、自分が死のうと思ったときには「子供のためにも死ねない」ですからね。いやいや、お前が「死ねば?」と問いかけた相手にも娘がいるんですけど? 不条理にもほどがある。よしんば、ギャグのつもりだったとしても全く笑えないです。

友人が背中を押してくれた。支援者が支えてくれた。母のように慕う人の言う通り、私は生かされているんだ。という言葉だけならともかく、他人に向かって「生きる価値なし。死んでよし」と言ってのける精神性を加味するとその根底には「有用さこそ生きる資格」という思想を感じずにはいられません。なるほど、そういう思想に基づけば、ミスによって支持者からの信頼を損ねた人間は生きている価値もないことでしょう。

www.j-cast.com

障害者福祉施設に務めていた職員が入居者たちを「生きている意味がない」と断じて殺害した事件があったことをふと思い出しました。いえ、深い意味はありません。

 

それにしても、ここまで人の尊厳を踏みにじるような言動を行った人間が「パニックだった」「追い詰められていた」でなあなあにされてしまうのだから、「名も知らぬ人間の罵詈雑言を真に受けて死ぬことはなかった」としか言いようがないよなあという諦念にもにた思い感情が胸に去来します。

言った側にとっては何気ない言葉でも、言われた人にとっては生きることを諦めさせるほどの呪詛かも知れない。そのことを踏まえた上で、僕はこのエントリーをかきあげ、ネットの海に放つのでした。