虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

価値観というフェロモンで人は群れる説

虚木零児です。

声優の浮気話で盛り上がっておりました。男女それぞれが別に恋人が居ながら、肉体関係を持ち続けていたという内容であり、当事者間のメッセージアプリのやり取りとされるものが流布されておりました。性行為についての生生しいやり取りと双方の恋人に対する悪意ある言動は目に余るものであり、被害者の一人が暴露したのだという話も頷けるものがありました。恋愛の根幹を揺るがすような背信行為であり、ネットリンチという私刑に走るのも心情的にわかるという意味で。

他方、声優の関わっていたコンテンツのファンなり、あるいはオタクなりからは「関係者でもないのに下世話だ、下衆だ」という意見もちらほら見かけるようになりました。以前にネット中傷を受けてお亡くなりになったリアリティショーの出演者を揶揄する者も見かけました。

異なる意見を出して妥協点を探るのは素晴らしいことなのだと思いますが、SNS上で繰り広げられているのはそういう議論ではないのではないか? というのが今回のお題にございます。

ことの発端としては男性実業家の恋人を名乗る女性の名義で、ある女性声優とのやりとりの一部が暴露され、それらをつなぎ合わせると「もともと女性声優は男性実業者と交際していたが、何年か前に実況配信者との交際にシフトした。はずだったのだが、実際は女性声優と男性実業家の関係は終わっておらず、むしろ、継続して肉体関係にあった*1」というのが読み取ることができました。

議論を醸しそうな所を抜粋すると「特定の人間と男女の交際をしながら、他の人間と肉体関係を持つことの是非」と「肉体関係を持つ相手とその交際相手、あるいは自分の交際相手に対する人を人と思わないような言動の是非」と「浮気とは言えプライベートでのやり取りを当人らに無許可で公開することの是非」などが挙げられます。

例えば、1番目は俗っぽく言えば浮気は善か悪かというお話なんですが、実際の所、悪なんだろうなという所感があります。悪行じゃなければ、暴露されたところでダメージにはならないですからね。昔、芸能人が近所のスーパーに自転車で米を買いに行っている! っていう記事が週刊誌に掲載されたことがありましたが、華々しい芸能界のイメージとの乖離はあるものの、別段責められるようなことでも、物笑いにするようなことではないということで、週刊誌側の意識に矛先が向いておりました。

今回の件はなんだかんだで「詳らかにするなんてひどい」という意見が出ることから見ても、人前に出すのは憚られる行為である。という意見が強そう。

ではなぜ、浮気は悪行とされるのでしょう?

浮気を悪とすれば下記のようなメリットがあると考えられます。

  1. オスはメスの胎内に別のオスの子供が宿る可能性を下げられる
  2. メスがオスの番として保護下に置かれる場合、オスの労力が別のメスに向くことを防げる

1は読んで字のごとくで、番となっている女性と他の男性との姦通がなければ、番の女性が妊娠した際は番の男性の子供であると考えるのが自然です。男女の交際は番になったオスの子孫を残すという規範があるという考え方とも言えるでしょう。

生物の本能的な、生来的な特性として、自身の子孫・血脈を残そうとするというものがあると言われてします。この欲求を満たせるか否かはオスメスにおいてかなりの違いがあり、女性は男性との性交渉を行い、受精着床と順を追って進むだけで満たされます。身体のメカニズム上、異なる血脈の胎児が自らの胎内に宿るというのは人工的な介入無しには考えにくいからですね。一方で、男性側は女性に対する束縛を必要とします。現代的な価値観では束縛は問題視されることが多いので、信頼によって担保されていると言えるかも知れません。浮気はその信頼をダイレクトに裏切る行為ですので、まあ、悪とされるのも宜なるかなといった感想であります。

2はどちらかと言えば社会的な問題で、よく話題になるところで言えば、自分たちの扶養に回されるはずだったお金が愛人の服飾費用、交歓の費用として消費されてしまうのを防ぐことができます。慰謝料などで金銭による補償が認められるケースがあることなども、悪徳として定められていることのメリットと言えるでしょう。

それ以外にも、交際関係にある間は相手からの愛情が担保されているという安心感のようなものがある、というのもメリットかも知れません。もちろん、人間ですので交際を続ける中で心が離れていくということもあるのでしょうが、交際の規則を厳密に守るのであれば浮気が行われる前に関係の終焉がくる筈なので、相手から交際の終了を告げられない限りは一定の愛情が向けられている。と考えることができる訳です。

ただ、メリットばかりということはなく、もちろんデメリットも考えられます。

  1. 複数の相手と関係を持つことができなくなる

これに尽きます。男性は複数人の女性と関係を持てさえすれば、一人を後生大事に保護しなくてもどこかに自分の子孫が生まれるでしょうし、女性側も一人に固執することなく複数人と関係を持てれば、男性側の問題*2を無視して子供を成すことが可能となります。またそもそもが恋愛関係が一人に限られないのであれば、愛が冷めた関係を終わらせるというコストも不要になりますし、手間もなくなります。

浮気を禁止するというのは、恋愛市場において過度の集中を抑止するための社会的な合意として形成されたと考えることができます。規制される側に取っては邪魔っけなものだけど、ピラミッドの下層に近い人ほど恩恵の方が大きい。

逆に、この条件が取っ払われればあるいは総取りも可能な、かなり激しい競争社会になるということでもあります。言ってみれば、愛情を向けてくれない恋人を責める前に寵愛を受けることができない自分を責めろという考え方であり、個人的にはまあアリなんじゃないかと思います。自省的に使う分には。

ただ、今回の暴露を受けて「仮にも恋人なのに、それを売るような真似をするなんて」と思ってしまう人は、完全に自由な恋愛には耐えられないと思いますのでやめたほうがいいでしょう。恋人同士が信頼し合い互いの利益を追求し合うのは互いに互いを最上位に置くという前提に基づきます。完全自由恋愛社会においては、誰を最上位の位置に置くかは相手の自由ということになりますので、相手が自分を最上位に置いてくれなかったことをとやかく言うのは筋違い。先の言葉を借りるなら最上位から降りてしまった自分を省みるべきだということになります。

やっぱり、浮気は悪にしておいたほうが平和だと思うんですよね。

閑話休題

ここまで僕なりの考え方を開陳してみた訳ですが、読んでいただいた人の中には同意できる部分、あるいは異論を述べたい部分、色々あるかと思います。誤謬を正したいという欲求もあることでしょう。各々がしっかりと自意識を持って文章を読み、それについて意見を出すということは大変尊いものだと思います。

ただ、今回の本題はTwitter上で起きているのはそういった意見の交換や議論ではなく、価値観の突き合わせと連帯でしかないのではないか。という話です。

そもそも、Twitterという短文をやり取りするSNSということもあり、議論はやりづらいけれど連帯だけは容易にできるという特徴があると思います。特定作品のファン同士の繋がりを求めたり、特定政党に対する反感を集めたりといった意図でハッシュタグが使用されているのは見たことがあるのではないでしょうか。また、トレンドと称して現在話題になっているジャンルについてのランキングも表示されます。いずれも、特定の意思・目的を持った人たちの発言が集うことで同類を認める為に機能しており、また、同じ意識を持つ人達に向けた情報の発信を兼ねています。

古の電子掲示板もまたジャンルによってスレッドが分けられてはいたので、近しい状況にはあったのですが、そもそも掲示板に書き込むことのハードルが高く設定されていたことや*3掲示板という言論空間上では異論反論が同列に扱われていたので自ずと議論か最低でもそれに近いものが見れました。

一方でTwitterにおいてはリプライによる議論、ないしレスバのようなものは生じるのですが、あくまで個人間のやり取りとしての取り扱いが先に立つため、両者をフォローしているであるとか、各Tweetの詳細を踏んでスレッドに踏み込むであるとかの所作を必要とします。

これは意識的に自分と異なる意見を取り込もうとしなければ、自分たちと同じ価値観同士での連帯が用意に進むことを意味します。ブロックなどを使用すれば見たくないものを視界の外に追いやることができ、動きを更に加速させることも可能でしょう。

つまり、今起きているのは「浮気をするなんて最低だよなー」「なー!」とヘイトを募らせるグループであったり、「誰々さんは裏切られて傷ついているに違いない」と義憤を燃やすグループであったり、「いや、演者の人間性とコンテンツは切り分けていいだろ」と呆れるグループといったそれぞれに属する人たちが無意識の内に集まって、意識せずに表明し、無意識にそれぞれの考えを肯定しあい、気にせず承認欲求を高め合うというループを起こしていると見ることができます。

グループ内からの観測的には反対意見も出ず、それどころか人も増えていくのでやはり俺らの意見は認められているのだという実感は高まっていくのだと思います。ただ、外野から見る分には「よそのグループと比べると賛同者少なすぎだろ」ということは十二分にありえることです。例えば、以前あったファミマの食品ブランド名変更の署名が約8千人だったのに対して、Vtuberの署名が6万人超でした。諸条件を無視した単純計算でもVtuber問題は数倍の人員が動員できています。

1万いかない人数の意見は無視していいであるとか、5万人超えた意見は必ず従わなければいけないとか、そういう話ではないので、それぞれの署名がどのように取り扱われるべきかはまた別の話ではあります。

ただ「8千人もの人間の声を無視するのか!」と声を上げていた人が6万超の人間の声を「無駄なこと」と切って捨てるっていうのがまかり通っている以上、やっぱり同じ価値観の人間同士で慰撫しあっているだけというのはあながち外れてもいないんじゃないかなと思うわけです。

まあ、慰撫しあっているだけなら別に構わないんですが、異なる価値観を目にしたときに毛を逆立てて牙を剥き、何なら噛みつき始めるから手に負えないっていう話とも思うんですけどね。

だから「誹謗中傷によって人死が出たのを忘れたのか」は意見としては至極真っ当だなとは思う一方、異なる価値観の人間をボコボコに叩くという風習をやめろというなら、「公共の場にそぐわない格好の女Vtuberは引っ込んでろ」だとか「胸が揺れるような卑猥な存在は許されない」だとかをまずやめろって感じるし、俯瞰で見渡して行き過ぎてるという空気を感じたなら口を噤めというつもりなら、反対意見が見えなくなるブロックなりミュートなりはやめろと言いたい。

そろそろ我々も次のステップに進むときが来たのではないですか?

「あらゆる属性のものが幸せに生きられる世界」なんて幻想は捨てましょう。

素直に「俺に従え。従えない奴は死ね」というべき時ですよ。きっと。

*1:もっと言えば、肉体関係は順調? だったというおまけ付き

*2:無精子症など

*3:半年ROMれなどに代表される自治意識の所為で