虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

平等はぼくたちに早すぎた

虚木零児です。

あいも変わらずVTuberの話題な訳です。

本件に於いては議員の名前で警察署に質問状とやらを出して、それを受けて動画の削除が行われたました。

削除の動作主体が警察署なのは確かにその通りで、その責があるという点も頷けなくもないとは思うんですが、そういった主張をしている人達はなぜ、質問状を出した議員に批判が飛ぶことを封じられると思ってしまうのだろうという疑問がある訳です。

そうはならんくね?

ニセ医療問題のひとつに、患者が標準的な医療行為ではなく、科学的根拠の乏しいニセ医療行為に傾倒してしまうという物があります。ニセ医療は標準医療ほどの効力が立証されておらず、効果の程は未知数。他方、標準医療は科学的にはある程度の効果があるとされています。

であれば、標準医療を受けたいという個人的な感情というものなのですが、世の中全員が同じ考えではないので、エセ医療に傾注してしまう人もやはり一定数いらっしゃいます。それは例えば病気の苦しさによって判断力が鈍るというお話かも知れないし、治療に対する疑念や辛さからの逃避という側面もあるのかも知れません。私も同様の立場に立てば同じく判断を誤るかも知れぬ。

この時、判断の主体は患者さんな訳です。邪悪な医者が居て、邪な理由によって効果が認められていない医療を提案したとしても、それを採用しようという判断は患者自身が下さなければなりません。逆に言えば、善良な医者からの妥当な医療であっても、患者に受け入れられなければ治療できないということでもあります。

何らかの理由があって効果が不確かな医療を患者が選んでしまった場合、患者自身に責があるのは事実でしょう。知識の不足による判断を誤った、諸費用をケチろうとした、発話者の人柄を理由に選んだ、などなど、要因によって同情の余地はあるにせよ、全くの責任がないとはならないのではないでしょうか。

であるからと言って、邪悪な医者に責が無いことになるでしょうか? もちろん、邪悪な医者側にも邪悪な医者なりの理があると思います。金儲けの為に儲けは良いが、効果の不明な医療を提案した。あるいは、功名心から患者を自分の医療の実験台にしようとした。はたまた、医者じゃなくて知識不足から間違った医療を提案してしまったとか。それによって罪の軽重は変わるにせよ、全くの無実、俺は手法を提案しただけで、エセ医療に嵌っちまう患者が悪いのさ! を認められるのか、という話であります。

やはり誤った提案をすることには責任があって、別の患者を誤った道に進ませない為にもエセ医療は批判されて当然なのだという考え方が大勢であると思っていますし、個人的にもそういう結論に達しております。

では視座を今回のVTuberの騒ぎについて戻してみれば、なるほど動画削除の判断を下したのは警察署であるのはそうでしょう。であれば、議員という立場から批判的な疑念を差し込み、質問状という形で疑義を申し入れた人間と先の医療の話で言うところの邪悪な医者とを分けるものは何か? という話になります。

議員がやったのは邪悪な行いではない。というお話もあるでしょう。それならば、そもそもが批判自体が不当であるというお話で、警察も議員も批判に晒される謂れはありません。

今回の主張のように「批判の矛先は警察だけに向くべきだ」という趣旨にはならないのであり、一体どこから出てきた理屈なのだろうという疑問が出てきます。質問状と削除の間に因果はないとでも言うのでしょうか?

論理的な一貫性は素晴らしいものとされている世の中ではありますが、本気でそう信じている人など一握りしかいないと感じています。僕自身、自分に都合のいいように捻じ曲げていることが多々あるでしょう。それでも論理的な一貫性は素晴らしいものなのだと信じるのであれば、過ちを認めて是正するしか道はありません。

女性の過度に性的な姿を警察という公的な機関が流布することで、女性への加害を正当化されるとの解釈が補強される――人を誤った方向に導く――のだ。と言いながら、自らに矛先が向くやいなや私は是非を問うただけで、今回の事態の責は判断を下した主体にあるのだ、とする。

それを言うなら、女性加害に至る判断をしてしまったのも加害者では?

今回の動画がもしも仮に、正当化するメッセージの機能を果たしたのだ*1として、メッセージを発した者にも責があるのだ。とすれば、質問状を受けて判断した警察がいて、それに異を唱える人がいてとなった際、影響を与えた質問状を発した議員が責に問われるのもまた当然だ。ということになるでしょう。意図してか意図せずかメッセージを発してしまった訳ですから*2

逆に私達は質問状の形で疑義を挟んだに過ぎず、最終的な判断を行った主体こそが全責任を負うものだ。というのであれば、正当化するメッセージとやらを受けて、加害を行う判断をした加害者こそ問題であってメッセージに責任を求めること自体が不当という話になります。

自分に都合のいいように理論を変えているとしか思えず、論理の一貫性という観点に於いては信用に値しないと判断せざるを得ません。

こういった言動がされる一端には、平等という概念が人間が扱うには難解過ぎる点があるのではという推測をしています。人間は息をするように贔屓をしてしまう説、というヤツです。

「警察が悪しきメッセージを出すことで、社会がより悪い方向に進むのだ!」という仲間の意見は評価して、「警察に対してメッセージについて、間違いがあるのではないか?」という仲間以外からの問い合わせに対しては「間違った判断をしたのは警察であって、メッセージを出した我々に責はないのだ」と排斥を是としてしまう。仲間と仲間以外では処遇を変えてしまう。

「主体的に服を着ている女性は良いのだ」と言いながら、Vtuberに対しては服装を理由にして糾弾をしてしまうのもそうですし、類似した服装のイラストレーションはダメだと言えてしまうのもそう。現実の女性が伝えたかったメッセージ性をイラストレータがキャラクターに持たせようとすると、それは否だということになる。グラビアアイドルに対しては「男性社会の価値観に媚びている」から主体的とは言えないのだと強弁してしまう。

身内とそれ以外で切り分けていると見えてしまう部分が多く、首尾が一貫しているとは思えません。おそらく、自分たちが「No」を突きつけたいものに「No」を突きつけ、認めたいものは認めるという点では一貫しているので、当人らはブレとして認識していないという可能性がありますが。

だが、それ故に個人としては支離滅裂なことになることもあるでしょう。自分と"自分たち"の考えが完全に一致しているとは限らず、実体のない"自分たち"が「No」というべきことに「Yes」と言いたい時もあるし、逆に"自分たち"が「Yes」と言うけれども自分の本心では「No」と言うべきこともある。

ある議論の推移を見て「他者の意見を吊し上げにして物笑いにするのはいけない」という主張をしていたにも関わらず、自分たちの趣味に対しての批判には「あの人(批判者)は前々から言動がアレだから」でやり過ごそうとしているのを見たことがあります。笑ってはいないかも知れないが、整合性の取れていない他者の言動はアレ(≒おかしなもの)扱いしてまともに取り合わなくてよいのであれば、自分たちに近いおかしなものが吊し上げにされて笑われるのも何ら不思議な話ではないということには気づかなかったのでしょうか。

おそらく本心としては「筋の通らない批判なんざ相手したくない」という気持ちがあったんだけども、自分たちの理屈に筋が通っていないかのように晒され、笑いものにされたのが我慢ならなくて「ひどいこと」だと憤ってみたのでしょう。でも、実際は「筋が通っていない主張」は相手にしなくて良いと思っているので、人格なり過去の言動なりを理由にして主張を退けることは平然としてしまう。

「ヒールの高い靴を強要されている!」という意見をブチ上げながらもVtuberの服装に対しては「TPOってあるから弁えないとね」と嘯けるのも、自分たちの価値観・規範こそ至上であるぐらいの意見でしかなく、結局は旧来の価値観に迎合し、一部基準を自分たちの都合のよいものに変更したい程度の欲求であり、価値観からの脱却などではなく、もちろん多様な価値観を認め合おうという壮大な闘争の物語ではないでしょう。価値観を同じくする身内が、異なる価値観から不快な服装を強要されたときは「自由が侵害されている」「私達は弁えないようにしよう」と連帯を高めるけれど、外野が自分たちに不快な服装をしているときは「TPOに合わせた服装しなきゃ」と弁えさせてしまう。厳かな場ではヒールがTPOにあってんだから仕方ねえし、その価値観がおかしいってんなら、啓蒙動画にふさわしい服装とやらが正しい保証もねえだろと思えないのが個人的には不思議ですね。

でもまあ、そういう意味ではしきりに叫ばれる「価値観のアップデート」も「最新定義ファイルを当てろ」という意で取れば、なるほどなと思えますし、その割には一向に定義ファイルを配布しないので、結局の所「空気読め」と大差ないよなとも思うわけです。

それとまた同時に自分たちと同じ定義ファイルを持った人たちとの連携を優先するあまり、自分の内心から生じた定義ファイルの変化を許容できないのであれば、それはおそらく自分を殺さねばならない不幸な場所なのではないか、などと危惧しつつ。

終わります。

*1:異を唱えたくなるのをグッと我慢しています

*2:邪推をするなら、警察という公的機関からのお墨付きが欲しくて質問状を出したという考え方もできます。例の動画が誤った認識を世に広めるのであれば、質問状の内容を警察の権威を持って広めようとした、というのは成り立ちはします。あくまで邪推ですが