虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

正常と異常の間

虚木零児です。

正常とは何か。異常とは何か。というお話です。

辞書的な意味合いとしては下記の通り。

正常

[名・形動]正しいとされる状態にあること。また、特に変わったところがなく、普通であること。また、そのさま。

一方の異常は、

異常

[名・形動]普通と違っていること。正常でないこと。また、そのさま。

となっております。

正常には「正しいとされる状態であること」という意味と「特に変わったところがなく、普通であること」という意味の二種があります。一方の異常は「普通と違っていること」と「正常でない」ことの意味を持ちます。先に言いました通り、正常とはすなわち普通であることも意味しているので、「正常でない」とはつまり「普通と違っている」と同義です。

以上のことから分かる通り「異常」とは「正常でない」の言い換えでしかなく、異常を判断するためには正常がしっかり定義されている必要があるのです。

ここ最近のエントリで何度か触れましたが、性欲とは繁殖本能に基づく欲求であるとする定義が使われてきました。これすなわち、子供ができない相手への欲情は異常である*1ということを意味し、すなわち二次性徴を迎えていない小児を性愛の対象と見る小児性愛者や、動物を性愛の対象と見る動物性愛者を異常とジャッジする為に使われてきました。

ただ、その規範では同性愛者も異常とジャッジされてしまうので、LGBに対する理解の進んだ社会では別の理屈がひねり出されています。

異常者に対する糾弾の言葉なので、どういうジャッジが下されているかは逆算して推測するしかないですが『「合意の取れない相手とのセックス願望」は「虐待願望」』という文面を見る限りは、性愛から生じる正しいセックス願望と何か別な欲求から生じる異常なセックス願望が存在しており、『合意の成立する関係』の同性愛者のセックス願望は正常な願望だが、合意が成立し得ない小児性愛者や動物性愛者のセックス願望は異常な願望――虐待願望である。という趣旨の主張であることはほぼ間違いないでしょう。

正しいセックスとは「双方の合意に基づいて行われるもの」というのは特に疑問なく受け入れられる提案であり、また、大人と比較して判断力に乏しい小児が「正しく合意」する能力があるかは疑問が残ること、故にその「正しくない合意」に基づいて行われる小児とのセックスは正しくないという理屈も理解ができます。人権をもたない動物に対して小児同様の保護を必要とするかを置くとして、十全にコミュニケーションの取れない動物に対して、性交渉という負傷などを伴う行為に及ぶのは、虐待ではないか? と考えるのも突飛な話ではないように思えます。

ただ、ここで問題になっているのはセックスそのものではなく「願望」です。であれば、内容について同意する気になりません。確かに同性愛者が性愛を向けた相手が、それを受け入れてくれる可能性はゼロではないでしょう。ですが、相手が異性愛者で同性愛者を受け入れないという可能性もまた同様に存在します。つまり、合意の取れない相手とのセックス願望*2を持つことは別に小児性愛者や動物性愛者などの限られた人間の特権ではなく、同性愛者や異性愛者であっても普通に起こりうる事ではないでしょうか。相手にセックスの意欲がなくても、セックスの願望が湧くというのは、人間としてはおそらく、ありふれた挙動であり、ただ多くの場合において相手からの合意を得られなかった時点でセックスに至らない。故に問題にならないというのが実情でしょう。

個人的な経験から言えば、偶然にも番を作った二人のセックス願望が同時に高まることで合意が形成されてセックスに至るばかりではないと思います。というか、人間がそういう構造になっているのであれば、子供がほしいからとセックスに誘ったら「疲れている」とにべもなく断られるなんてことが起こるはずがない。人間は一人ひとりが違った人格・主体を持つ存在であり、同じような状況であっても下される判断には差異が生じる*3ものですから、絶対はありえないと思うのですが。

そもそも、同性愛者たちも「異性よりも同性のほうが合意を得られそうだから」という理由で同性愛者となった訳ではないでしょうし、セックスの願望の正常・異常に相手の合意が得られるか、得られないかが関係しているかは疑問が残ります。応報して貰えそうな同性愛者を対象とする同性愛者だけが正常で、合意しそうにない異性愛者に性愛を向ける同性愛者が異常なのでしょうか。そうではないと思いますが。

また「同性愛者は合意を得られる可能性があるけど、小児性愛者は合意を得られない」を認めたとして「邪悪である」も理論としておかしくないですか。相手からの合意を得られなかった同性愛者が必ずしも問題を起こすと思っている訳ではありませんが、何かしらのトラブルを起こすという可能性がゼロであるとも思えません。他方、小児性愛者と呼ばれる人が合意を得られないことを知りながら強引にことを運ぶ人間ばかりというのも納得し難い。多くの異性愛者、同性愛者がそうであるように、合意を得られない相手に対してはおとなしく引き下がる者もいるのではと思います。合意の得られないであろう願望を胸に秘めて行動を起こさない人間は、性愛に問わず生じる訳ですが、その中において小児性愛者だけが邪悪である理由って何なんでしょう。

そう考えると、引用したTweetの話には何から何までおかしくて、合意を得られる可能性の有る願望だけが許されるというのは到底認めがたい思想だし、合意を得られなかった同性愛者が問題を起こさないと思っているのであれば、それは特別視しているように思います。合意を得られない小児性愛者が願望を行動に移していなくても、生きていくことが許されないというのも異常な事態ではないですか。同性愛者たちが「相手の合意を無視して関係を迫ろうとするに違いない」という偏見や視線にさらされたことで長らく苦しめられてきたとはよく聞く話ですが、なぜ小児性愛者たちは同じ視線を向けられることを受け入れなければいけないのか。

何よりも、自分が合意するつもりのない相手からの性愛は加害、向けてくる相手は異常者だ。と言わんばかりの言動をなぜ許してしまうのか。

そういった所から、各自一度考えてみても面白いと思います。

*1:余談ですが、TRPGソードワールドのリプレイ小説では明確に「子供のできない異種族への性愛はダメ」といった趣旨の記載があったことを記憶しています

*2:なお、セックス願望を伴わない性愛の存在についてはTweet段階で考慮されていないと判断して無視しています

*3:セロリが好きだったりする