虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

マナーに唾を吐きかけろ

虚木零児です。

KuToo、ご存知ですか。履きづらい"靴"を強要されて"苦痛"というオヤジギャグにMeTooをかけ合わせて生まれたなんと言えばいいのかわからない運動です。中心人物的にはセンスのいいネーミングということなので、現代社会はオヤジに優しくなりました。俺は絶対に認めないぞ、こんなネーミング。

ネーミングセンスはさておき、女性がハイヒールやパンプスといった立ち続けたり、歩いたりに向かない靴を履く機会が多いというのは事実としてあり、それらが女性の脚にダメージを与えているというのはわからない話ではありません。見るからに歩きづらそうな靴ですからね。何を得るためにあんなものを履くのでしょう。理解できません。

あのテの靴は歩行の補助であったり、足の保護であったりが目的ではなく、その見た目が何かしらの機能を有しているのだと推察されます。現に、パンプスで検索かけると割と早い段階で「就活時の服装マナー」とかいうページがヒットします。

懐かしいですね。就活。私も別に靴なんてなんでもいいだろと思いながら、革靴を履きました。まあ、試しにウォーキングシューズでぶっこんだらやんわり注意されましたからね。こんなところで失点すると全滅必至だったので次からはやめました。懸命な女性諸氏はこういう実験を無意味だからとしなかったのでしょうか。

私の失敗談はともかく、就活時の服装マナーとして浸透しているということは、女性がパンプスを履くのは「私は社会性を有しており、貴社に馴染む用意がありますよ」というアピールとして機能していることを意味します。逆に、ここで強情を張ってパンプスを履かないと「私は社会性を放棄しており、貴社の気風も意に沿わなければ逆らう」というアピールになってしまうのでしょう。

実際、就活時の服装マナーなんてのはマイナスを得ない為の作法であり、何かプラスを得るための所作ではありません。で、そのマイナスとやらは誰が生じさせるのかと言えば、人事であったり、あるいは既に就業している先輩社員であったり……婉曲な表現をやめれば「我々」です。パンプスの話をするからピンとこないでしょうが、例えばオタク共が揃いも揃ってチェックのシャツを着ているのを嘲笑ったり、ヨレヨレのシャツを着ているオジサンを鼻摘み扱いしたりした経験をお持ちの諸兄も少なくはないでしょう。アレと同じで「あ、あの女、スーツに革靴履いてる! イケてない!」とやるから、女性たちはパンプス着用を余儀なくされるのです。

昨今のマナーはそういう側面をより強く感じるようになりました。相手を慮るよりも自分を無害に演出してるようにしか思えません。例えば、ビールを注ぐ時は瓶のラベルを見えるように上に持ってくる、とか、徳利から酒を注ぐ時は注ぎ口の反対側を使う、だとか。その行為にどれほどの意味があるのでしょうか。

大体、注ぎ口がなんのためにあるのかと言えば流体の流れを制御する為、自分の思ったところに液体を注ぎ込む為です。にも関わらず、その機能を使用せず、そればかりか、わざわざ思わぬ方向に溢れる可能性のある反対側を使う。阿呆なんですかと聞きたくなるところです。

で聞いてみれば、やれ注ぐ姿が宝珠の様だとか、注ぎ口は円(縁)の切れ目で縁起が悪いだとか、はたまた、注ぎ口に毒が塗られているかもと理由をつけて反対側から注がせようとする。別に宝珠に見立ててありがたがるのは結構、験を担いで円を切らさないようにするのも構いません。

ところが、マナーとして遡上に上がり、注ぎ口から注ぐのはマナー違反とやってしまうと笑い話ではなくなってしまいます。「徳利から注ぐときはこうやって宝珠を作るんだよ」とか「何だお前、俺との縁を切りたいと思ってるのか」とか「おいおい、注ぎ口から注ぐなんて、俺に毒を飲ませるつもりか」とかしょうもない怒られが発生することになります。普通は毒を飲ませようとしないし、仮に飲ませたいとしても相手に真正面から仕掛けない。それすら承知で殺すとなれば、注ぎ口にだけ毒を塗るなんて不確定なやり方はしません。少しは頭を使え、この脳カラ。

しかしながら、我々はこのただの難癖に振り回されています。

一つは偉い人の不興を買えば自身の立場が危うくなるなど、媚びへつらうだけの理由があるからです。狭い世間のローカルルールを押し付けた挙げ句、それに従わない相手に対して烈火のごとくキレ散らかすとか、人としてどうかと思うレベルですが、それを真っ正直に指摘して相手に不快感を覚えさせると負けになります。

なぜ負けなのか。これが二つ目の理由、現代社会に置いて不快感の除去は何よりも優先される行動だからです。不快というだけでオタクは莫迦にされ、不快な人間に挨拶されれば事案として処理されます。体臭の臭い人はスメルハラスメントの加害者とされ、興味のない相手から告白されれば告白ハラスメントとされる。大事なのは行為者がどういう意図を持っていたかではなく、受け止めた人がどう感じたか。つまり、注がれた人間が徳利の注ぎ口を使われて不快だったと感じれば、それすなわち徳利ハラスメントなのです。阿呆臭い話ではありますが。

権力勾配と不快感を盾に相手の行動を咎めるハラスメントムーブメントが合わさって、自縄自縛してしまっているのではないでしょうか。パンプスで足を痛めながら、スニーカー姿の営業マンに顔を顰めているうちはパンプスはやめられません。たとえ就業規則からパンプスの着用が外されたとしても、パンプスを履いていない人間を悪し様に罵る客がおり、企業がその客の言い分を跳ね除けられなければ、暗黙のルールとしてパンプスの着用が残るでしょう。

我々が戦うのは「なんか感じ悪いよね」という感情なのか、それともその感情に振り回されて規則を作る企業なのか。冷静に見つめ直してもいいのではないでしょうか。