虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

地獄の釜に薪を焚べるな

虚木零児です。

世間の声に耳を傾けてみると、性犯罪絡みの裁判において無罪が頻発していることから、日本という国の性犯罪に対する甘さが露呈しているのだそうです。へえ。そうですか。それは知らなかったなあ。

嘘です。一部の立場の人々が持論を補強するためにその手の論調を繰り返しているのは以前から観測していました。別に今回の件も特別なことは何もありません。

そう、話題に上がっているのが裁判である以外は。

今までであれば、匿名の個人の体験談などだった訳ですが、今回の件は実際の裁判の結果であります。それに対して感情論で適当ぶち撒かれるのは、流石に弁護士だの法曹関係者的にも看過できない状況なのでしょうか。本件、あちこちから批判の声が上がっていて大爆笑です。いや、社会情勢的には到底嗤っている場合ではない、結構危険な状況なんですが。ついね。

キズナアイにケチつけてた人ですらブレーキ踏むレベル。

当時12歳の少女が実父より強姦されたという事件の例で行けば、そもそも性交渉自体がなかったというのが裁判官の判断な訳です。全文がわからない以上、詳細な判断は差し控えるものの、検察側が性交渉の存在を立証できなかったのだろうという推測が多勢であるように見受けられます。実際問題、記事としては強姦があったという証言の拠り所であろう証言の変遷から虚偽被害を訴えた可能性があるとしており、長女が言った以外には証明するものは他になかったのでしょうか。

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また別記事では七人の家族がごく狭い家屋に住んでいるにも関わらず、2年間、週に3度という頻度であったにも関わらず、家族全員が気づかないというのは合理的でないという弁もあったことが読み取れます。

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なぜ、家族全員が気づかなかったのか、なぜ少女の証言が変遷したのか。もし事実として強姦があったというのなら、その双方に理由があるはずであり、その理由を説明しきれなかったのが敗因と考えられます。個人的には「被害を訴えた少女と事実の不整合はなぜ生じたのか?」というのが気になるところですが、そこは裁判で明らかにする範疇を超えておるのでしょう。

実際に被害があったんだという前提に立つのであれば憤るのも無理からぬことだというのもわかりますが、実際問題、被害者(とされる人物)の証言を真に受けて女検事が張り切ったものの、終わってみたら虚偽だったことが判明という悲しい事件が起きておるので慎重にならざるを得ないという情勢です。

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先の12歳の少女の件でもそうですが、我々のどこかには「14歳の少女が虚偽の告訴に至るはずがない」という感情があります。ところが、下記引用にもある通り、当時14歳の少女が彼女なりの事情で身動きが取れなくなり虚偽の証言に至らざるを得ない状況というものはありうるようです。

性被害を受けたとされた当時、女性らがまだ幼く、母親から強く問い詰められたことで嘘をつき、引っ込みがつかなくなり、そのまま虚偽証言に至っていたからだ。

母親との関係が薄くなったことで証言を翻したとのことですので、本件に関して言えば母親がその状況の一因なのでしょう。こうなってくるとこの「母親」がどういう人物なのかが俄然気になってくるところですが、野次馬根性以外の何物でもありませんね。

いずれにせよ、14歳の少女が本人的には止むに止まれぬ事情で虚偽の証言をしてしまったという事実がこの世に存在する以上、「被害者は虚偽の被害を訴えない」という前提に基づいたシステムの運用は危険な訳で、児童相談所からの保護解除を避けるために虚偽の証言をしたのではないかという疑念が生じるのも無理からぬことでしょう。今回の判決で、12歳の少女の懸命の訴えが退けられたと頭に血が昇る気持ちもわからんではないですが、事実に反する疑いのある証言で無辜の人を罰する危険性を犯せないのもまた重要な側面であります。

今回の判決、その後の騒動故に「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」という格言に今注目が集まっている訳ですが、こと性犯罪に関しては「一人の無辜を罰するとも、十人の真犯人を逃すな」という論調が強くなりつつあります。実際、痴漢冤罪の話題になると「検挙された痴漢の冤罪率は低い」という話が持ち出されます。が、やっていない罪に問われて罰してはならないという信念に則れば、冤罪の比率は0でなければなりません。冤罪を防ぐためには、たとえ真犯人にしか思えずとも立証が不十分な人間は罰しないという原則を敷くしかありません。この原則を端的に表したのが「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」という言葉であり、この言葉を否定するということは「犯してもいない罪で裁かれる」ことを許容することを意味しています*1

かつて、痴漢冤罪の話題が盛り上がった際、「そんなものよりも、対テロ共謀罪の方がもっと怖い」と吹き上がっている方がおりました。話を聞いてみれば「覚えのない罪で逮捕されるかも知れない」とのこと。当時の私は(ああ、この方は一般的に痴漢することがないとされているカテゴリに属されているのだな)と思い、これらの人々に対して説明することの意味を見失ったものです。具体的な法律の不備があるならいざ知らず、ただその法によって地獄の釜の蓋が開く思いがするのは、普段の我々が「疑わしきはすべて罰せよ」と書かれた釜にせっせと薪を焚べて、地獄にしているからではないでしょうか。いざ、自分の足元にその釜が来てから恐れても……手遅れでしょうね。

人間の感情は非合理的で不条理なもの。我々は感情に惑わされることなく、人として理性的な思考を心がけたいものです。

*1:いつだかのチケット詐欺事件のように「チケットを送付しなかった」人が逮捕されて、糸を引いてた人物は被害なし