虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

年末年始の界隈の盛り上がり忘備録

虚木零児です。

年末年始どうでしたか。僕は忙しかったです。

年末あたりに無駄に感じが悪い弁護士の人が騒いでいたんですよ。そもそもは「なんたらいう学会で不規則発言によって質問時間が失われたのにお咎め無しってどういうことなの?」的な話だったんですよね(プライバシーに配慮してぼかしております)。そこからあれよあれよと話が転がっていって、最終的には被害妄想に囚われた人間の妄言を盲信的に肯定するのは正義か否かみたいな話に発展していって、見てるこっちとしては最高にエンタメって感じがしました。

人類皆エンタメです。等しく消費されましょう。

ざっくりと今回の出来事をまとめると

  1. 発端として、学会内で質問時間に唐突なMeTooと称した大演説が行われる
  2. 出席していた弁護士が質問時間を失った形となり、SNSで是非を問う
  3. 学会側の人間が「MeTooは不規則発言じゃない」だの「難癖だ」だのと反論
  4. 弁護士が「名指しで告発された人に警戒を促すレベルだった」と告白
  5. 学会側「プライバシーに関わることをバラすなよ」と非難
  6. SNSラニアが「人工知能学会の表紙に何言ったっけ?」と牙を剥く
  7. 唐突な「そのMeTooした人、被害妄想で有名な人ですよ」と告発
  8. MeTooした御本人がNoteに記事起こしするも非公開に
  9. 非公開記事のスクショが残されており、無事、公開される

というのがおおよその経緯であります。興味のある人は各自調べてみてね。

外野から見ている分にはなんたら学会側の人が勝手に自傷していってるようにしか見えませんでした。特に、血だるまでアマゾン川に飛び込んだ結果、SNSラニア共に嗅ぎつけられ、全身を食いちぎられていったシーンには笑い転げてしまいました。そもそも、ピラニア共が寄ってきた原因は昔に人工知能学会相手に余計な喧嘩をふっかけていたことなので、同情のしようもありません。インガオホー。

こうして、物事が落ち着いてから見てみると、どうしてここまで坂を転げ落ちるように大怪我を負う方向に進んだのか不思議で仕方ありません。結果論なのは重々承知の上ですが、そもそも、最初の大演説に対する抗議に対して「会の党派性の関係上、無碍に遮ることはできなかった。しかし、結果として質問したい人間の時間を奪うことになってしまった。申し訳なかった」ぐらいにしておけば無難な着地も可能だったような気がします。まあ、実際は「そんなに質問したければ最初にパネルに書いて出せばよかったのに(A.パネルを通じたディスカッションの中で生じた質問をやり取りしたかった)」とか「そんなに時間は残ってなかったのを大げさに言ってる(A.手元の時間でおおよそ十分近い演説があり、終了時点では予定されていた40分より少し前だったのですが)」みたいな即応で叩き潰される難癖で応戦。まあ、挙げ句の果てに出てきた「最初からMeTooの内容は知った上で、こっそり時間を確保していたんだよ」発言と比べるとまだマシでしたね。

いや、なんでそんな庇い方したんだよという話であります。そりゃ、「お前あの殺人予告レベルの内容を知った上で黙認したんかよ」という方向への発展するのも無理からぬことですよ。普通、止めるだろ。そんな話をしようとしてたら。

この路線に進んだ時点で敗色濃厚な雰囲気ですが、この時点では奴らもまだ諦めていなかったのかMeTooの告発者は被害者だ。その被害者のプライバシーをなんだと心得る」みたいな論で反発します。アマゾンリバーランですよ。余計なことしやがって。

どういうつもりでプライバシーを持ち出してきたのでしょうね。MeTooって最初から世間に対する大々的な告発な訳だと思っていたんですが、あの人達は仲間内での悪口大会のこととでも思っていたんでしょうか。世間に対して自ら大々的に告発しておきながら、その内容を知ったらプライバシーの侵害ってもう嫌がらせですよ。これは。

学会の中というクローズドな場での話を外に持ち出すなという意味でのプライバシーなのだとしたら、前述の通り人工知能学会というクローズドな場での刊行物を外に持ち出したの誰だよというお話であります。人間って複雑だな。こんなに理に適わない行動を平然と取れるんだもんな。

年末から年始にかけてこの界隈は姦しくって、自称フェミニストがトランス女性を「男性器のついた女もどき」ぐらいの扱いしてみたり、MeTooで名を馳せた人が自身のサロン内でのセクハラ騒動を握りつぶしてみたりといった、いろいろなやらかしが露見してきました。

このテの活動家が「周囲の無理解から忌み嫌われてる」自虐風自慢するのを見かけますが、そんなご立派なものなのでしょうか。個人的には掲げている理念は一見すると崇高なものなのに、実態としては党派性に囚われた残念な行動が見られるからにしか思えません。残念な人が残念な人扱いされてるだけであり、更にはその残念な人に対して強く出れない組織の脆弱さが見透かされているだけではないでしょうか。虚偽の証言で他人を貶める行為を混ぜ込まれるのって告発運動に対する冒涜だと思うんですけど、そのあたりどうなんですかね。

いつぞやの記事で推論しましたが、結局は気に入らない物を叩くための大義名分を「差別」としたのであって、排したい理論や理屈なぞはなかったのでしょう。逆に言えば自分の味方に対する抗議を「差別」「プライバシーの侵害だ」と落とし込んだ時点で、本人たちの精神は平穏を保てているのではないでしょうか。まあ、差別者にされる側の身になると溜まったものではありませんが。