虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

叩いていい人、悪い人

虚木零児です。

仕事のほうがあまりうまくいかず、プライベートの時間が取れなくなってきました。こうやって仮説ごっこする余裕もあまりありません。寂しいです……。

それはそれとして、やまもといちろうさんの記事が公式ブログに上がりました。

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これを見ながら、懐かしい気持ちになったので、久しぶりに仮説立てます。それは「世の中には叩いていい人と叩いてはいけない人がいる」という話です。リンク貼ったブログと内容が丸かぶりでアレなのですが、アプローチ面で頑張って差別化したいと思います。よろしくおねがいします。

政治家やアニメ監督は個人なので「いやいやそいつらの普段の行いが悪いんや」という節はあります。平素、素行が悪い人間がひどい目にあっても「神の意志だな」で片付けられてしまう現象です。まあ、だからといって文句を言われるために存在する状態にしていいかといえば……。いやしかし、同情できないエリアにいる人間に対してはヒトってのはここまで残酷になれるんですね(他人事)。

少し視野を広げれば、この理論が個人に対してだけではなくて、ある集団全体まで拡大されて解釈されることがわかります。特定層に対してわかりやすい所で行けばガンダム動物園」と揶揄されるゲームプレイヤーたちです。騒々しいフレンズたちがご迷惑をおかけして、どうもすみません。

我々がなぜケモノ呼ばわりなのかといえば、ゲームセンター内での立ち居振る舞いに傍若無人なところが散見されたからです。実際、警察沙汰にもなっているので、特に言い逃れはしません。

実際のところ、ガンダムが動物園になったのはコミュニティのデカさは見逃すことはできないでしょう。人が多くなればそれだけ騒がしくなり、勢いのある勢力は周囲の勢力を黙らせるので、気兼ねなく振る舞い始めます。この点、ガンダム四人で対戦するというゲームシステムが優位に働きます。現在でこそネットワークを通じた全国対戦が主流ですが、4,5年前まではゲームセンターに四人集まらないと対戦が始まりませんでした。対戦を求める層が栄えているゲーセンに集まるのは道理であり、曲がりなりにも協力要素がある以上、コミニュティが形作られていくのも自然な流れ。2on2であるが故に味方に恵まれれば勝利が拾いやすい、見かけの間口の広さもあり、ゲーセンゲームにおけるプレイ人口の多さでもなかなかに優秀です。アーケードゲームの不調から限られた敷地をよりアミューズメント方向に割り振る舵取りしようとするゲーセンの決算書でも堂々と「鉄拳・ガンダムEXVSを除くアーケード筐体機のインカム悪化」と書かれ、閉店するゲーセンの思い出でも「リリース以来インカムトップを走り続けたバケモノゲーム」と書かれる始末。

ここまで強くては他ゲーム勢が「うるさい、撤去しろ」とロビイングしてもゲーセン的にはインカムが良くて手放し辛いもの。そうなれば、プレイヤー的には木っ端勢力の文句など気に留める必要もありません。

こんな出来事は別段ガンダム勢に限った話ではありません。、局所的に見ればギルティ勢が猛威を奮っている場所もあるし、ガンスリンガーストラトス勢が取り仕切っている場所もあります。私がかつていたゲーセンでは煽り、罵りながらのじゃれ合いを続けるギルティ勢と、プレミの謝罪を繰り返すガンダム勢がぎゃあぎゃあやっていましたが、プレイ人数はどちらも同じぐらいいて、騒々しさも大して差はありません。むしろギルティ勢のがガラが悪いまである。

そんな中、ガンダムだけが動物園呼ばわりなのは、全国的に見てこちらが優勢であったというだけです。別ゲーでは同意を得られるほど人気*1がないので共通の経験として落ち着かず、結果、全国で隆盛を誇るガンダムだけが万人の不満を溜め込み、その虐げられたと思っている人々がネットで動物園だ、なんだと揶揄しているうちにかなりのコミュニティにおいて「叩いていい勢力」というポジションに落ち着いたのだと推測されます。

それと同じことが起きたのがいわゆるラブライバーでしょう。ファン活動のさなかでジャラジャラと缶バッジで武装する、独自のルールを施工して他のファン活動を牽制するなどの振る舞いが目撃され、当時の隆盛を気に食わない連中がネットでそれらをラブライバー」などと揶揄して叩いていく内に無事、「叩いていい勢力」と認識されるようになったのでしょう。構造としては同じです。

当時、格ゲーマーのラブライブファンが「一部の奇矯なヤツの振る舞いを理由に全体を叩くのはおかしい」と抗議してましたが、それあなたがガンダム勢に対してやってたことと何が違うんですかというお話であります。あなたが叩いていいと思っているガンダム勢の事件を個別案件として扱わず、勢力全体の問題として扱っていたのと同様に、世間が叩いていいと思っているラブライバーの事件を個別案件として扱わなかっただけのお話であります。勝手に動物園の檻に閉じ込められた私にしてみれば、ラブライバーが叩かれるのがおかしいなら、ガンダムが動物園と揶揄されるのもおかしい。それが道理だろと思うわけです。

まあ、こんなもんは別にガンダムラブライブに限った話ではありません。艦これ、FGOグラブル、あるいは刀剣乱舞など、勢力が大きくなれば、奇人・変人の行いが取り沙汰され、それを理由にして勢力全体に叩いていいレッテルが貼られ、最終的にはその勢力に所属しているからという理由で叩かれるようになる実例は枚挙に暇がありません。

端的に言えば差別に他ならないのですが、この手の圧力は比較的肯定的に受け止められており、それが故に「〇〇のファンとして恥ずかしい」だのといったグループ内抗争の具となっているのも見かけます。別にどんな人がファンでも、他の誰かが恥じる必要なんてないと思いますが、そのあたりどうなんでしょうか。そもそも、ある作品のファン、あるいはある人物のファンであるというだけで形成されたコミュニティに統制がないのは当たり前の話で、統制されていない人物の振る舞いを理由にコミュニティ全体の問題になるのも妙な話です。それをわざわざ「〇〇のファンとして恥ずかしくない振る舞いをしよう」と統治する方向に進めたがるのは一体どういう意識なのでしょうか。

人間の習性は謎に満ちていますね。

*1:ひとけ。人の気配