虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

公平と不公平感と貧乏性

虚木零児です。

世の中いろいろあるもので、やよい軒のおかわりが一部店舗で有料化するようです。

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平素からやよい軒のお世話になっておらん身としては、どれほどのインパクトがある話なのかさっぱりわかりません。言及されている方がいろいろといらっしゃったのでさぞかし有名なサービスだったのでしょう。世間知らずで申し訳ございません。

世間知らずついてででぶっちゃけますと、ちょっと何が起こっているのかわからないというのが正直なところであります。

記事中に出てくる「不公平感」というのがよくわかりません。おかわり自由の条件は明確で、その条件を満たせばおかわりが自由にできることのどの辺りが不公平なのかがいまいちわかりません。

 

おかわりが無料というサービスは定食を注文した全員に対して展開されておるわけで、差が生じているのは客がサービスを利用したか、しなかったかが違うから。少食でおかわりなんて到底できないという人たちがもしいたとして、彼らだってその気になればおかわりを自由に食せる訳で、サービス自体は公平に提供されている訳です。

体質的な話や、あるいは健康維持的な観点から、おかわりをしない、あるいはできない人が居るであろうこと。そういう人たちはおかわり自由というサービスを十全に享受できないことは想像できます。しかしながら、自己理由・自己都合でサービスを受けない、あるいは受けられない人がいることは、おかわり自由サービスの公平さを何ら毀損していないと思います。

まあ、私の感覚はどうあれ、客の不公平感解消を目指したであろうやよい軒が、おかわり有料化の方向に舵を取るということは、おかわりをする人としない人が同じ料金なのが不公平とかそういう話なのかなと推測します。あいにくと私はおかわりをできる側の人間なので、できない人間の考えることはよくわかりません。

先刻も言いましたが、私は個人としてやよい軒はほとんど利用しない為、おかわりが有料になってしまうことで損失はほとんどありません。それゆえに、やよい軒が戦略を転換しておかわりなり、大盛りなり、たくさん食べる奴に対して課金を重くするというのはまったくもって正しい選択であり、有料化そのものは悪いことではないのかなと思います。まあ、一部店舗から試験的に導入するのは、その一部店舗を利用していた人たちにとって不公平なのではという気がするぐらいですね。

それにしても、私が推測したとおりに「おかわりしていない我々と、おかわりしている奴らが同じ料金なのは不公平だ」というお話がやよい軒に寄せられたのだとすれば、よくもここまで貧乏性を肥大化させたものだと感心します。「おかわりしてる奴らは俺らより多く金を払え」と言いたかったにせよ、「おかわりする奴らより俺らの料金を下げろ」と言いたかったにせよ、自身がなんの権限も持たないやよい軒の料金設定に口を出してまで公平感を得ようとするのは、なかなか大したもんだと思います。なんですかね、自身にそれなりの利益がある――いわゆる値切り交渉の後者はまだわからないでもないんですが、おかわりする人の出費を拡大させるだけの前者は何が目的なのか本当によくわかりません。

何にせよ、食事のときぐらい、目の前にある料理に集中し、余計なことを考えずに目一杯味わいたいものです。わざわざ他人のテーブルの料理や、動向を気にして神経をすり減らしていく必要はどこにもありません。皆さんが独りで静かで豊かで、自由で救われた時間を過ごされることを願うばかりです。