虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

綺麗事だけ言ってても政治も生活も回んないっていう話

虚木零児です。

ロシアとウクライナの間で本格的に戦争になりました。比喩とか、茶化しとかそういうの抜きでマジモンの戦争です。シャレになっているか、いないかで言えば、全くなっていません。止められるものなら止めてほしい。

今にして思えば、僕が昭和の終わり頃に生まれてから、これまでの間、戦争と言われるような出来事は何度かありましたが、国家元首が訳のわからない理屈を並べ立て、国際連盟から非難を喰らいながらも、堂々と開戦に至ったというのは初めてのことだと思います。確かに9.11とかの大事件はあったものの、概ね我々は平和な世界に生きていました。テロリズム、テロリストたちさえおとなしくしていれば、世は事もなしって雰囲気だった点は否めないと思うんですよね。

だからこそ、我々が非武装で侵略を否定することで我々は戦争と無縁でいられるんだという言説が、バカにされながらも生き延びられた訳です。ウクライナが非人道的な攻撃を行った訳でもないし、侵略のための準備を進めていた訳でもないのに、攻め込まれた今、非武装で侵略しませんというポーズがどれほど役に立つのかは未知数です。

とはいえ。今日の今日まで憲法9条御柱として寄り集まってきた人たちも今更、大事な支柱を捨てて生きていくのは難しい訳です。他になにか自分の武器があればいいですが、表現の自由でもボロカス叩かれる以上、マジでこれぐらいしか頼るものがない。

そういう意味では、こういった発言もやむなしだよなとは思います。国連総出で非難されるロシア侵攻が始まったこの期に及んで、否定できないどころか、まだ持ち上げなきゃいけないとは大変ですね。別の場所では侵略行為をやめろと意見をぶつけつつ、一方で憲法9条の素晴らしさも語らねばならない。両方やらなくちゃいけないところが辛いところですね。

憲法9条を掲げて非武装を理想としてきた。ただまあ、現実問題、自衛のためだけの必要最小限の軍事力を有してはいるけれども、侵略に使えるような武力はダメだという論調だった訳ですよ。なぜかといえば、相手の侵略の意思を疑られることは攻撃の口実をあえてしまい、結果として戦争を招いてしまうのだという論調でした。

皆さん、急にそんなことは言っていないとばかりに否定し始めたんですけども。

togetter.com

もちろん、彼らにも彼らの立場があるでしょう。例えば、自国の防衛に必要な戦力の見積もりを今回の出来事で見直すことになった。とかですね。今までは自衛隊にこれ以上の戦力は過剰だと思っていたけれども、実際は隣国が国際法規を違反してでも侵攻するようなキチゲエ国家だということを知ったので、必要だと考えるようになったのなら矛盾はしていません。それならそれで、なんで、今まで気づいていなかったんだという話になるので全くの無傷ではないですが。

ただまあ、実際問題、日本の軍備拡大にぎゃあぎゃあと騒ぎながら、侵略できるだけの戦力を備えていた、あるいは、着々と準備を進めていたであろうロシアには全くのノーマークだった人たちが、平和について一家言ありますって言っても聞くに値するのかっていう話なんですよね。

9条は今回のロシアのような真似を出来ないようにするための法律なんです! はいいんですけど、周りにはその首輪すらついていない国家しかない中で、どうやって生き延びていくんですか? の、ビジョンが提示できないようでは政権を取るなんて夢のまた夢に決まってんだろ。と、僕なんぞは思ってしまう訳です。

まあ、当の本人らにその気はないみたいなので、何を言っても響きはしないんでしょうけどね。

news.yahoo.co.jp

これらの2つに共通していることって、理論とか理屈があってその上で対立しているんじゃあなくて、敵か味方かの立場が合ってそれに合わせて理論や理屈をひねり出しているんですね。政府予算案にこういった問題があって、看過できない部分があるにも関わらず賛成したことは言語道断である。という話のはずなのに、なぜか「事実上の与党化」っていうワードを使ってしまっているのがあまりに不自然なんですよ。敵か味方かの2つに分けて考えることしかできなくなっている。

与党って政権を担う、与る、与する政党なので、共産党が与党になる可能性は0じゃあないんですよ。それはつまり、共産党の掲げる理念や政策が国民に広く理解され、信任されたということなんですけども、野党がそれに賛同をしなかったときにあなた方はどう思うんですか? という話になります。

「お、野党の役割を果たしておるな。関心関心」

って思うんですよね? 当然。

個人的にはこんな茶番、やめちまえって思いますし、実際与党の立場になったら、"俺たちの掲げた予算案でやれば、国が良くなるのになんで反対するんだ"ぐらいのことは言うだろうなって思ってます。

そういう意味で行くと、憲法9条をやたらとありがたがっていたのも、日本という"敵"から戦力を削ぎたいという純粋な思いだろうし、彼らが国外の追従者がいないことを気にもとめていなかったのは"味方"のつもりなんだろうな~とは思います。心の底から憲法9条が素晴らしくて、誰もが信奉すべき理念だとは思っていたにしては動きが鈍かったですからね。

考えてみれば矛盾している訳です。憲法9条が本当に強力なストッパーとして機能するなら、侵略に転じられるほどの過剰な防衛力があったところで、攻撃には使われることはない訳です。指導者がそういった動きが取れないらしいですからね。自衛隊の装備を刷新しようが、新しい兵器を導入しようが関係ない。為政者が侵攻に踏み切れない訳ですからね。

いやいや、他国への攻撃に使えるような戦力の保有を禁止することで、侵略を起こさないことを実現しているんだよ。という意味だったのなら、自衛隊への反対との筋は通ります。通りますが、ただまあ、国際法規を無視して、国際連盟からの非難を浴びながらも侵攻を行う指導者が、律儀に憲法守って軍備を拡大しないかっていう話に触れてないのが片手落ちな訳です。

結局、大事なのは憲法じゃなくて、我々の不断の努力なんですよ。首から金科玉条を掲げているのが偉いなんて話にはならない。大層な理念を掲げていても、行動が伴っていないのなら全くの無駄。一人ひとりが真面目にやっていきましょうっていう話です。

だのに、「今回のロシアに類似した憲法条文があれば、今回のような事態は起きなかった」かのように言っちゃうのが本当にダメな所なんですよ。日本という国、ないし政府、国民の努力ではなく、憲法を崇拝する。根本的に国民のことなんか微塵も信頼してない。その割にはロシアという国には全幅の信頼を寄せているんですよね。憲法があれば彼らも今回のような攻撃はしなかったに違いない。と思っていなければ出てこない言葉ですよね。それって。

そいつら、ウクライナ東部の親露勢力の救済と称してウクライナ全土攻撃するような奴なんですが。必要だと判断したなら改憲手続きを踏んで変えるだろうし、ウクライナへの侵攻を「侵略じゃない」理屈をひねり出しただけだと思いますけどね。

しかも、もし仮に、憲法条文にああいった内容があることでその国家が侵略できなくなったとしても、現代日本が危険にさらされていることに変わりはない。9条があれば、プーチンのような指導者の台頭を許さなかっただろう、よしんば、台頭を許したとしても9条によって侵略までは至らなかったであろう。それを認めたとして、現実のロシアは9条もそれに類する条文もない状態で我が国の隣に存在している訳ですよね?

で、我々はそれにどうやって立ち向かっていくんですか?

今回の出来事で護憲派にとって致命的なのは口が裂けても「ウクライナ憲法9条があれば……」とは言えそうにない雰囲気になっていることです。過剰な戦力を持つことで他国の警戒を煽って攻撃の口実に……なんてことを心配するだけ無駄でした。なぜならば、別に他国に攻め入るのにまともな理屈はいらないからです。

というかまあ、ウクライナ国境に明らかに異質な戦力が投入されてなお、開戦には至らないみたいな分析していた人もいましたし、主権を持った国家が過剰な武力を持っていることは開戦の理由にはならないのでしょう。無防備マンとか何だったんだよ。

過去の発言を見れば、9条という制約がなければ日本は侵略に乗り出すっていう負の信頼が非常に高いのも気になりますし、9条という制約がないにも関わらず、侵略も侵攻も行わない諸外国をどういう目で見ていたのかが疑問です。戦争という手段が必要でなければ戦争なんぞ仕掛けないし、必要になれば攻撃を行う。今回のロシアと諸外国との攻防はそういう当たり前のことを明らかにしました。

また同時に、平和的外交なんてものがクソの役にも立たないし、やると決めた連中相手に言葉でどうこうできるなんて幻想なんじゃないかっていう現実が突きつけられた訳で、戦争になんか持ち込ませないと大言壮語を吐いてきた人間が、プーチン一人を悪人に仕立て上げて、抗議してお茶を濁して終わりな訳ねえだろとは思います。そういった種の人間の中には政治家もいたわけですから、戦火に包まれたウクライナを見ながら、胸を張って「俺らならもっとうまくやれた。ああはならなかった」って言える根性を見せられるんだろうな。って話です。

そういうところ、もう少し考えてほしいですね。実際。