虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

それはテレパシーとか超能力とかじゃなく

虚木零児です。

前々から引っかかっていたことがあるので簡便に。

交渉っていう概念がないか、相手の理解力に依存している感じがしますよね。彼女の言葉をそのままに信じたとしても「準備片付けともに行いたくないのでアウトソーシングしたい。だから外食したい」という言葉に対して「準備は俺がやる。外食はやめよう」という提案を受けて、それを飲んでるんですよ。そう、飲んでる。

結局、私だろう。という諦念。この諦念を是としているのはなにか、って話です。

対立を望まない人間って、対立を厭わない人間に対して不利なんですよ。今回の件って結局、外食をしたいとしたくないの対立になってしたくないに決定されたヨヨヨ……って話として処理されてるんですけど、実際の問題って「準備と片付けをしたくない」のハズなんですよ。外食はその目的を達成するための手段の一つでしかない。

そこが綺麗に飛んでますよね。別に肉を焼くのも良い、親戚を呼ぶのも良い。準備も片付けもやるならそれは目的を達成しているはず。

「それでもいいけど、片付けはやってくれるんだよね?」

これができるか、できないかの差が今回の話なんじゃないのと思ってしまいます。単純に「外で食いたくない」ではなく「準備は俺がやるから外食やめよう」って出来たのと「そこまで言うからには外食という手段は諦めるから片付けまで責任持てよ」が出来なかった差と言いますか。

家族なんだから、その辺はわかって然るべきでしょ! って話なのかも知れないんですけど、いや、多分それって単純に異なる文化圏との交流、異なる立場の人間との交流という話になると必要になるんですよね。こんな風に。

youtube.com

この動画では無理矢理に日本人のポジティブな要素として上げているんですけど、逆に言えば基盤部分は共有されているだけでしかない。ネガティブな言い方をすると多様性がないが故にすれ違いが起きていないだけですよ。

動画中では「みじん切りにしていく」んですけど、それはいわゆる飴色になるまで炒めて半ば調味料的な使い方をする場合の話であって、玉ねぎという食材の食感などを残したいと思うのであれば「くし切り」「一口大」などのバリエーションがある。

housefoods.jp

これは「相手のやりたいことを感じ取っている」のではなく「玉ねぎ一個で依頼事項が一意に定まるぐらい、選択肢がない」だけだと思うんですよね。コンビニのレジで時代遅れのおっさんがキレるカリカチュアの一つである「普通、マルボロつったら、コレだろうが!」と同じことなんじゃないの? っていう。

うるせえ、マールボロのブランドだけでどれだけあると思ってんだ、てめえって話なんですけど、あの動画の人達は優しいですよね。さすがに未開のイエローモンキー相手と言えども上から目線で教示するのはおかしいって思うようになったのかしら。

tabaco-ex.ocnk.net

それはさておき「相手側から譲歩を引き出す」という意識の弱さがあり、その根源とはなにかといえば「交渉はしたくない」意志の現れに思え、にも関わらず盤外戦術で相手を批難しようというやり口には「相手は自分の思う通りに動いて当然」という感覚があるようにしか見えません。自分が片付け含めてやりたくないんであれば、相手から何らかの譲歩を引き出すほかない。だから「準備・片付け含めてやらせる」か「片付けが嫌なら外食に従わせるか」の話なんですよ。

まあ、この手の話題ではありがちなんですけど、被害者目線って自分の決断が消えるんですよね。「私は準備も片付けもしたくなかったのに」とは言うんですけど「俺が肉を買って焼くから」にOKを出したことは認めない。片付けは自分だろうなと思っていながら諦めたことには目を向けない。

こういう人のペースが合うってだいたい「自分の思い通りに動いてくれる」の言い換えですよね。自分が望んでいるものを与えてくれそうだから絶対大丈夫と確信したんでしょうけど、実際は自分がその部族に染まることが出来なくて疎外感を感じた結果、自分に近いであろう芸能人やそのファンに向かって批難をアウトソーシングしている。

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で、その時に自分は「相手の外食はしたくない」っていう感情を軽視してることには特に触れないんですよね。今回の件で言うなら、親戚を呼び寄せてのちょっとしたパーティめいたものになってるってことは、別にたくさんの人と喋りながら食べるのが苦痛というワケではないでしょうから、別の要因があるはずなんですよね。

では、店の都合で食事のペースを管理されること? 赤の他人と同じ空間で飯を食いたくないとか? あるいは店の選択肢に好きなものがない? もしくはその店にたどり着くまでの道中、例えば運転などに抵抗がある?

結局、相手の抵抗心のコアを掴んでいないので、我々が同じ立場だったとしても交渉の余地はないです。相手がどういう理由で何を望んでいるかを理解していないから、こちら側からも譲歩のしようがない。相手が私達のしきたり・理論を理解していないとはいうものの、我々も彼らの文化・文脈は理解出来ていないのだから、そこはもう単純に言葉を尽くしてでも相互の理解を目指すべきであり、それこそが諸外国の言う「もっと具体的にお願いをいうべき」という話の礎なんじゃないかなあなどと思うわけです。

まあ、当人らにとってはちょこちょこっと愚痴って共感もらって終わり程度の問題なんだと思いますけども。