虚木零児の仮説置き場

虚木零児が他人の行動に仮説を立てるブログ

乱痴気騒ぎが終わってみれば、焦げた匂いが目に染みる

虚木零児です。

先月末から揉めに揉めた話に決着に向けての道筋をつけようという努力が感じられるようになってきました。

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お前たちの言葉、しかと理解したぜ。

次はプロデューサーを火に焚べればいいんだな!

さて、クソブログを読み込むまでもなく、僕がクズであることは自明だと思います。このページのここまでの文書でわかるでしょう。

で、自他ともに認めるクズがクズなりに、今回の事件について考えた結果「攻撃したかったわけじゃない」って言うのは、単純に事情の説明をしたかっただけで、僕みたいなクズに鈍器の形をした玩具として振り回されることを想定していなかったんだろうなぁとは思うわけです。僕みたいなクズが余計なことをしなければ、人の生命が失われることはなかったかも知れない。さすがのクズも心が痛みますよ。作品も知らなきゃ、人となりも知らないけれども、逆に言えば死んでほしかったワケでもないですから、そんな人が自らの生を断ってしまうなんて、そりゃ悲しい。

だからって火をつける手を止めはしませんが。

なるほど、僕らのクソみたいな言動で一人の創作者が自らの生命を手放したのだ、という批判は批判として受け止めるとして、こうなりゃあと一人二人増えても一緒みたいな所あるじゃないかって話なんですよね。幸い、残っているのは全員燃えやすそうな藁の箕を被っておりますし。

人の所為にするな

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一応、言っておくとこの人は被害者ではあります。

日本シナリオ作家協会の動画に出演して持論を展開したのですが、それがよりにもよって件の原作者の自死が報道された当日に「【密談.特別編】緊急対談:原作者と脚本家はどう共存できるのか編」とかいう頭の悪いタイトルだった所為で炎上。

結果、悪意ある人間に言ってもないことを言ったかのように仕立て上げられたという経歴の持ち主です。それは可哀想。

動画自体は敬意や配慮を欠いた軽率な代物で、公式からチャンネルのあり方については一旦考え直しますとまで言わせしめた呪物です。動画自体はもう見れないのですが、下記から読める文書を一読すれば、おおよそ状況がつかめると思います。

「【密談.特別編】緊急対談:原作者と脚本家はどう共存できるのか編」につきまして

味がある。

それはさておき、記事での概ねの主張としては「脚本家が話を自由にできるわけがないのだから、一人を責めた所でどうにもならない」といったところでしょう。そりゃ、ドラマなんて関係各所が力を出し合って作り上げていく訳で、陣頭指揮というか取りまとめを行うプロデューサが責任者でしょっていうのは当然そう。わかりますよ、話は。

『セクシー田中さん』の脚本を担当した、相沢友子さんがインスタで愚痴ったのは早計だったけど、プロデューサーに不信感があったんでしょう。

『喰いタン』脚本家が語る『セクシー田中さん』問題「局と出版社が話すべきだった」「オリジナル企画が通りにくい現実」

ただ、ちょっと流石にこれはいただけないですね。正直。

僕は真実とやらには微塵も興味ないんですけど、件の脚本家先生がSNSで「原作者に向けて」放った愚痴の源泉が「プロデューサへの不信感」って言われると流石に異議をはさみたい。逆の言い方をすれば、どうしてこのセンセは原作者と自分との間に挟まって橋渡しをしているプロデューサへの不信感を、当該人物を飛び越して向こう側にいる「原作者」に対する愚痴として漏出させてしまったというワケで、到底承服できる理屈ではありません。

これが仮に「原作者からの要望を食い止めず、全部こちらに押し付けてきたプロデューサへの苛立ち」だと言うのなら、多少は不信はあろうものですが、それだってプロデューサを操る原作者に矛先が向くでしょう。まことしやかに語り継がれる愚痴の内容を思えば状況的にはこちらに近い。

まさかアンタはこれを「プロデューサに不信感がある」状態と言ってんじゃねえよな? 自分はこんなこと言ってんのに?

原作者がそこまで悩むほど、作品の解釈に食い違いがあれば、僕は『作者に会わせてくれ』とプロデューサーに頼みます。意向を直接確認して執筆に入りたい。

『喰いタン』脚本家が語る『セクシー田中さん』問題「局と出版社が話すべきだった」「オリジナル企画が通りにくい現実」

これはつまり「プロデューサが信じられないから抜きで話し合いましょう」っていう事ですから、不信感からの行動としては自然なものだと思います。詳細はわかんないまでも、いらんことしてそうな奴がいるなら抜きたい気持ちはわかる。実態はどうあれ、そうしたほうがいい方向に転がりそう。

ただ繰り返しになるんですけど、今回の愚痴ってプロデューサを排斥しようとしてるとは読み取れないし、プロデューサによって隠されてしまった原作者の真意に興味があったようには見えない。百歩譲ってそういう気持ちがあったと認めたとしても、本来プロデューサへぶつけるべき不信感を原作者に向けて吐き出すのは早計なんてもんじゃなくて、軽挙妄動ぐらいは言われても仕方ねえだろって話でございます。

まあ、プロデューサがかき乱しているのに気づきもせず、黒幕の言うことを阿呆みたいに信じて、素直に「原作者めぇ!」ってSNSにぶちまけたんなら「早計」って感じはしてきます。

――このおっさん、同業者のことそんな目で見てるんだな。ってだけで

記事を読むとこの部分に限らず、全体的に浅慮浅薄な言い回しが多すぎる。言い分を信じたとして、仮にも物語を担当することもあるのだから、もう少し見せ方というものがあるのではないかなどと素人ながらに思ってしまうワケです。

「原作があればドラマの出来が見通せ、役者を口説きやすいという理由もあります。結末がはっきりしない連続ドラマに出演するのは、役者にとってはリスクが大きい。脚本家とよほどの信頼関係にない限り、所属事務所も原作物を選ばせがちなんです」

『喰いタン』脚本家が語る『セクシー田中さん』問題「局と出版社が話すべきだった」「オリジナル企画が通りにくい現実」

ウソ臭いじゃないですか。だって。

本当に「ドラマの先行きが不透明で結末が見えない」が原因なのであれば、オファーかける前に結末まで決めて、これこれこういうドラマを作りますよ。と言えば済む話でしょうよ。オリジナルってことは口出ししてくる原作者もいないんだから、気兼ねなく結末まで考えられる。そうはしなかったんですか? それはなぜですか? っていう。

もしかしたら「ドラマ制作の現場で、実際の撮影を行っているうちに天啓が降りてきて、決まっていたとおりに撮影が進むことなんてないんだよ!」とかマンガみたいな話なのかも知れませんが、その天啓がどうして原作付きドラマには降りてこないのか考えたことがありますかね。というお話になります。それに、そんな天啓に制作物を左右されるような連中が今回みたいに「原作通り忠実に」なんて出来っこないオーダーを受けるべきじゃないと思いますけどね。

単純にこう、説得力がないんだよなぁ。

人の所為にするな!

まあ、言うてこの人は流れ弾を食らっただけの人で、いわば部外者ですよ。大事なのは渦中の脚本家様は何を仰っていらっしゃるかな、って話ですよね。

芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました。

いったい何が事実なのか、何を信じればいいのか、どうしたらいいのか、動揺しているうちに数日が過ぎ、訃報を受けた時には頭が真っ白になりました。そして今もなお混乱の中にいます。

ドラマ「セクシー田中さん」脚本家・相沢友子氏が追悼「頭が真っ白に」 自身の投稿を反省「深く後悔」

……はい。あらあらまあまあ。

つまりは「無知蒙昧なご自身が事情をよく知りもせずに原作者を逆恨みして罵詈雑言を書き散らしてました」という話ですかね。この愚挙によって原作者は対応に追われて事実と実情の列挙に追われた。ということになるんですけども、大丈夫ですか。

よくこんな文書出せたな。

結果何が起きたかと言うと、本来はドラマ制作の混乱に振り回されたファンや視聴者のための説明だったにも関わらず、己がせっせと売って回った悪名が悪さをしてファン以外の場所にリーチしてしまった。積もりに積もった恨みのはけ口が急に出来上がったことで、溜まりに溜まった怨嗟の声が狂瀾怒濤の如く流れ込んでしまった。ええ、それはもう盛り上がっておりましたとも。まるで、昨日のことのように思い出せます。

――まあ、単に先週の話ってだけですが。

何にせよ。あの作者の言い分を見ているってことは自分がやっていることが、脚本家としての分を弁えない冒涜であり、ぶちまけた愚痴が無明のなせる妄言であることがわかったでしょうから、品性下劣な己の愚挙がこのような事態を巻き起こしてしまったことをさぞかし悔やんでいることでしょう。

からのコレ。

事実が分からない中、今私が言えるのはこれだけですが、今後このようなことが繰り返されないよう、切に願います

ドラマ「セクシー田中さん」脚本家・相沢友子氏が追悼「頭が真っ白に」 自身の投稿を反省「深く後悔」

……ここでタテマエだけでも、格好だけでも、ビシッとキメられない奴が書くシナリオが面白いことあるか……?

大体、当事者の片方がこの期に及んで「事実はわかりませんが……」とか間の抜けたこと言ってる場合かよ、ちゃんと事実確認して、二度とこんなザマに陥らないように頭のネジ巻き直せよ。そうしないと同じことの繰り返しだぞ。と思わないでもないです。

プロデューサがクソで、原作者にもこっちにもイイ顔した結果、双方のズレが激しくなったという先程のオッサンの説がピタリだとしたら、今後のことを考えるとプロデューサとの縁は切っておくべきですよ。そいつを挟まなければ揉めなかったかも知れないんですからね。

などと言ってみたものの、ここまで勢いよく沈み込んだら、生き馬の目を抜くドラマ業界では二度と日の目を浴びることが出来ないのかも知れません。

噂によると保守的なドラマ業界「いや、君の名前がスタッフにあるとそれだけで評判悪くなるんだよね」なんてこともゼロではないのかも。悪名は無名に勝るとは言いますが、人気商売な以上は程度というものがありますし、縁を切りたいのはむしろ周囲のスタッフの方と言われても、否定する材料が思いつかないのもまた事実。であるなら気にするだけ無駄ではあるので、粗悪な脚本家の代名詞として名前が残ってしまったことを悔やみながら穏やかな余生を送っていただければ御の字じゃあないでしょうか。

人の所為にするな!!

最後は小学館

ここは割と面白くて、社内向けの説明会で「色々あって社外発信はしません」ってやったら、スポニチに情報を売られて記事にされ、大騒ぎになってから態度を変えてお出しされたのが、この記事の冒頭にある「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」となっております。ビッグモーターで散々見た「社内向けの秘密」が商品として外部に流出する流れであります。何やってんだこいつら。

www.sponichi.co.jp

ちなみになんですけど、僕の観測範囲ではこの編集局名義の発信については随分、好意的に受け止められています。正直、個人的にはよくこんな薄ら寒いリリースではしゃぎ回れるなというような鳥肌モンの内容なのですが、そういう世界観の人々でも無ければドラマの脚本がクソだカスだで一週間もはしゃいでられないだろうから、仕方のない話なのかなあっと思っております。プライベートも仕事もご一緒したくないタイプ。

 また、著者である芦原先生のご意向を、ドラマ制作サイドに対し小学館がきちんと伝えられていたのかという疑念が一部上がっておりますことも承知しております。

 その件について簡潔にご説明申し上げるならば、先の2023年8月31日付の芦原先生のコメントが、ドラマ放送開始日2023年10月22日よりも2か月近く前に書かれ、そしてドラマ放送開始前に7巻が発売されているという時系列からも、ドラマ制作にあたってくださっていたスタッフの皆様にはご意向が伝わっていた状況は事実かと思います。

作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ

いいですか皆さん。陰険社会人をやりたいなら、こんなゴミみたいな言い訳しちゃダメですからね。これが素敵な説明や精一杯の努力に見えるなら、陰険気取るのはやめたほうがいいです。素直に生きていきましょう。

本気でこんなものが言い訳として通用すると思っているのが怖い。

重要なのはドラマとして仕上がってきたものに先生がOKを出したか、NGを出したかであって、何ヶ月前の打ち合わせでは好意的だったかどうかなんて全くどうでもいい。むしろ逆に数ヶ月前の時点で撮影も終わっていて、これがテレビで流れますよってモノににこやかにOK出されてた先生が「いよいよ放映だ!」って時点になって、実際にテレビで見たら急に「意向に沿った作りになってない!」って騒ぎだしたら医者を呼べよ。どう考えてもやべえだろうがよ。

8月では納得してた先生が9話、10話で強引に筆を取る。これに別に狂気を内包する必要は一切無く、例えば、本格的な撮影に入る前の打ち合わせではスタッフが真面目に受け取るフリをして、純朴に信じていたから「きっといいものができると思いますよ」的なこと言ってたんだけれども、いざフタを開けてみたらぜんぜん違うものが出来上がってきたから、多少強引にでも舵を握りにいった。とかでも全然よい。

8月の時点での納得についても、キャラやあらすじといったお話の部分が中心で、映像の話には一切触れていない訳で、実際にお茶の間に届けられるフィルムがどの程度、出来上がっていたかなんかは一切話をしてない。これが脚本を睨みながらの会議だったりした日には、撮影前にパパッと書き換えられたら意味がない。そもそも、人の原作を借りてドラマを作り、当の原作者からNG出されて引きずり降ろされたばかりか、逆恨みで当てこすりする程度には行儀の悪い人間がスタッフ――しかも、物語に関与できる位置――にいることはすでに白日に晒されている中で、そんな大昔の詳細もない、時系列的には前のほうにあるってだけの出来事が一体、何を担保・保証してくれると言うのでしょうか。いや、何もされない。

もしかすると、出版の界隈では一度出来上がってしまえば、原作者が「約束が違う」と言おうが何だろうが「意向が伝わっている」ことになるのかも知れませんが、正直、頭おかしいのでやめた方がいいと思いますよ。

なんか、作者の方がブログを消しちゃったからか、覚えてへんやろと思ってるのかも知れませんが、この話題がネタになるときにはほぼ確実に

脚本をめぐり局側と折り合いがつかず、自らが9、10話の脚本を書くことになったとして視聴者に向けて謝罪。当初提示していた「漫画に忠実に描く」などの条件が反故になっていたと明かしていた

ドラマ「セクシー田中さん」脚本家・相沢友子氏が追悼「頭が真っ白に」 自身の投稿を反省「深く後悔」

って趣旨の文章がついて来るんだから無理ですよ。まさか、条件が反故にされるってどう意味かわからないんですか?

有り体に言えば、原作者の意向を無視、約束を反故にされた上に、裏切った側の人間が自分の無体を棚に上げて、都合のいい風説を流布してきやがっったので、やむなく御自ら事情の説明などに費やした結果、思わぬ自体になってしまった。という経緯として報道されているのに、これに真っ向からぶつかる「意向は大事にされていた!」って主張をブチ上げるんだから、何らかの形で報道を否定する必要がある。

まあ、雑に言えば「実は先生は納得していたのに、していないと騒ぎ出した」か「自分たちがクソ無能で大事にされていないのに『大事にされていた』とウソを吐いた」の二択じゃないかな。もう少し話のディティールを詰めればバリエーションは増えるかも知れませんが、大筋としては先生がウソか、お前らがウソかになるでしょう。

一応、オッサン説を採用するならプロデューサーには伝えていたけど、制作現場にまでは届いてなかった……みたいなのは考えられないでもないですが、プロデューサのことを「ドラマ制作にあたってくださっていたスタッフの皆様」と表現する気狂いが誕生するだけなので、別に真面目に考えなくてもいいんじゃないかしら。

これがXでまことしやかに囁かれてる通りに編集局一同の総意なんだとしたら、粒ぞろいの無能の集団ってことになるんで、ウソであってほしい。まあ、そもそも単純にコイツらに作者の意向が伝わっていなければ、こいつらが窓口として適当言いまくった結果、外部各所が被害を被ったことになるので辻褄が合うと言えば合うんでアレなんですが。

正直、これを厚顔無恥にもお出ししてきた編集局とやらにも腹が立つのはそうなんだけれども、こんな知恵の回らない虚言癖のクソカスのその場しのぎのウソを勇気だとかなんだとか持ち上げらてる奴は許しがたい。自己に対する憐憫と弁護、はちきれんばかりの虚栄心が生み出した故人宛の三行半じゃねえかよ。くっだらねえ。離縁状を叩きつけられた死人を応援しています、とか、無念を思うとつらくなる、とか思ってもいないことを二度と口にするんじゃねえ。

おまけ

www.ntv.co.jp

日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら
脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。
本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております。

ドラマ公式サイトより

出版社のザマ見た後だと、ウソ吐くなとも言い難いのがクセになる。

誰か一人ぐらい責任を感じる奴はいないのか

冒頭に引きずり出したオッサンのことを散々に腐した自分が、こんなことを言うのも失礼な話ではあるんですが、後にネタにした腐敗ゴミどもと比べれば、自分の仕事にプライドと責任を持っていると思えますよね。

少なくとも、原作者の不平を全くゼロにするなんてのは、ドラマというメディアの特性上軽々に「できる」とは言えない部分ではあるけれども、それでも「限りなく少なくして原作者が納得いただいた上で作品を作りたい。作るものだ」とは言えている。実態はどうあれ、あるいは、本音は別で建前なのかも知れないが、そういう格好はつけられているわけです。

部外者でヤラカシが露呈してないから、という部分はあるだろうけどね。

それで言えば「そんなの、知らなかったんだもん!」はまだマシな部類。お前が知らなかったワケあるか? とは思うものの、原作者が大事にしていたものを踏みにじっていたのは悪いことだ、取り返しの付かないことをしてしまったんだ! というポーズを見せようと努力はしている。まあ、結局、自分が引き金引いたという自覚を見せれてないので、不格好すぎて見れたものじゃないんだけれども。

まあこれも「私は先生の意向を伝えてましたよ! そうですよね? 先生! 先生? どうして認めてくれないんですか。寂しいです……」みたいな頭のおかしい腹話術遊びしてるような奴と比べりゃ、大体の奴がマシになるってだけか。

結局、プロデューサのことはあまり炙れませんでしたが、そのへんは皆さんにお任せします。目が痛いので。